■「セッション」デイミアン・チャゼル

セッション [Blu-ray]

 偉大なドラマーになるという野心を抱いて,名門音楽院に入学したニーマン.彼はそこで伝説の鬼教師フレッチャーのビッグバンドにスカウトされる.喜びを胸にリハーサルに参加したニーマンだが,そこはちょっとしたミスがクビにつながる,地獄のように厳しい場所だった.罵倒を受けながら,練習を続けるニーマン.やがてバンドの主奏者に昇格し,すっかり有頂天になったニーマンだが,フレッチャーによるさらなる試練が待っていた….

 ディ・リッチ(Bernard "Buddy" Rich)のようなドラムの超絶技巧に憧れ,名門音楽院に入学した青年,それを狂気のスパルタ式で指導する鬼教師.その師弟関係の本質は,協調や和解とは根本的に断絶し続ける対峙.フレッチャーは,インスピレーションを誇ったサクソフォニスト,チャーリー・パーカー(Charles Parker Jr.)を好んで例に引き,「過酷な指導にも耐えたから天分を開花させ,伝説的存在になれた」ことを説く.スタジオ・バンドの奏者は,練習日の朝9時前に音合わせをし,以後は息を殺して"待機".しばらくすると靴音が近づいてきて,フレッチャー教官が入室.時刻は9時ちょうどである.音楽性でリスペクトされるのではなく,畏怖で生徒を支配するフレッチャーの指導は,一糸乱れぬ完璧なアンサンブルを要求することに終始する.わずかでも音程が乱れようものなら,未熟な学生を泣くまで罵倒,退学を勧告して教室から追放する.

 入学直後にその場面に居合わせるニーマンは衝撃を隠せないが,自分もまたフレッチャーにドラムのビートとリズムを覆され,怒声を浴びせられ顔面に椅子が投げつけられる.原題"Whiplash"(鞭で打つ)は悪影響,損害を与えるという意味もあり,フレッチャーとニーマンの関係は,紆余曲折あっての師弟愛にも徹底して無縁.しかし,両者が共有しているものがあるとすれば,狂信的なジャズ・プレイヤーとなるため,ファウスト的に魂を売り渡さなければならないなら,躊躇しないこと.悪魔学・俗信・オカルト全般を集めたコラン・ド・プランシー(J. Collin de Plancy)の『地獄の辞典』メフィストフェレスの項には,「冷淡な意地悪さ,涙を嘲笑う辛辣な笑い,人の苦痛を見るときの冷酷な喜びが特徴」「からかいによって美徳を非難し,才能ある人に侮辱を浴びせ,中傷という錆で栄光の輝きを腐食させる」とある.

 以前にフレッチャーの虐待に耐えかね退学処分となった才能ある学生は,パワハラ指導から精神を病み,自殺していた.伝説的存在になれる"通過儀礼"の途中で挫折した学生について――その生死すらも――,フレッチャーが心から反省することなどあり得ない.才能を見出しはするが,それを踏みつけ,潰し続けても枯れない者だけが開花を許される――この狂気の信念に屈しないことを表明するニーマンはといえば,ドラム大成の妨げになると思った途端,自分から口説き落とした恋人をあっさり捨て,息子をやや偏愛する父の他者肯定(good job)にもアレルギー反応を示すようになる.フレッチャーの屈折したサディズムにいつしか毒され,だがポスト争いや流血沙汰を乗り越えて盲従を拒絶することを学んだニーマンであったからこそ,ラスト9分19秒の挑発的セッションが可能になった――そうみるのは表面的理解.

 このセッションは,弟子から師への「反逆」であるが,両者の間で交わされる不敵な笑みは,同床異夢が破綻した後に訪れる不吉を予期させるのだ.面白いことに,この師弟対決で生み出されたパフォーマンス終了後,当然与えられるべき拍手喝采は完全にカットされ,スタッフロールへと移る.デミアン・チャゼル(Damien Chazelle)は高校時代,ジャズバンドでドラムを担当していたが,顧問の過酷な指導に根を上げ,ミュージシャンへの夢を断念したという.9分間のセッションに拍手喝采を与えていないことは,恐怖と強圧による音楽指導・音楽性は,「伝説的奏者を生み出す」という理由があったにせよ,正当化は容認できないというスタンスが感じられる.フレッチャーを誰が演じるかで,作品の出来栄えは大きく左右しただろう.J・K・シモンズ(J K Simmons)は,それまで主要な映画賞には無縁だったが,本作で軒並みノミネート,多数受賞した.文句なしの鬼教官の体現,その表現力に目を見張る.

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原題: WHIPLASH

監督: デイミアン・チャゼル

107分/アメリカ/2013年

© 2013 WHIPLASH, LLC.