1901年,ギリシアの海底から奇妙な機械の破片が引き上げられた.小さな箱に多くの歯車を組み込む洗練された設計と技術.はじめは紀元前1世紀のものとは誰も信じなかった.いったいこれはなんのために創られたのか?百年にわたった謎解きを研究者たちのドラマとともに描く,興奮の科学ノンフィクション――. |
時計の発明より1400年早く,水時計や無限ねじに活用された歯車(ギア)の発明から百数十年後に現れたと考えられる奇妙な機械<アンティキテラ>.クレタ島の西北,ペロポネソス半島の南端マレア岬の間に位置する海域から引き揚げられた.機能と考案者の解明に取りつかれた研究者らの競合.考古学と博物学の専門分野を,はるかに凌ぐ機能をアンティキテラが有していたこと,その輪郭が明らかにされるプロセスの知的興奮である.イギリスの科学史家デレク・デ・ソーラ・プライス(Derek J. de Solla Price)は,アンティキテラが紀元前80年ごろの「カレンダー・コンピュータ」であるとした.
その木造の箱の横にあるハンドルを回した者は,宇宙の主になれた.過去でも未来でも,自分が見たい時間の天空の動きを,見ることが出来たのだ.表側の針は十二宮の中で移り変わる太陽,月,惑星の位置を示し,月の満ち欠けを教えた.裏側の螺旋の文字盤は太陽暦と太陰暦の組み合わせで年と月を示し,食の時期を教えた.表側の文字盤に記された文字を読めば,どの星座が空に現れたり消えたりするかがいつでも判った.裏側の説明書きを読めば,予測された食の場所と見え方が判った
本書においては,ロンドン科学博物館で計算機部門主任学芸員を務めたドロン・スウェード(Delon Suede)の意見にしたがい,数学計算が可能なだけでなく,一連の数字で解が得られる計測器を「コンピュータ」と解釈する立場に立つ.3つの表示盤の目盛りは,ソティス周期に基づく365日のエジプト式カレンダーまたはソティス年,黄道十二星座の記号を示し,暦ダイヤルを4年に1回1日分戻すことにより実際の1太陽年(約365.2422日)との誤差を補正することができるという.3つの針の1つは日付,残りは太陽と月の位置,また機械に刻まれたギリシア文字は火星と水星に関する記述となっている.プライスは,この機械は天体の運行を予測し,暦を設定するためのプログラムがなされたカレンダーなのであると結論付ける.天文学と数学の理論に基づいて製作されたものであり,占星術と科学と政治がフラクタルな調和をみせた時代の産物ということである.
プライスの論理と直観は,ロンドン博物館の工学部門を担当していたマイケル・ライト(Michael Wright)の着想で裏付けが取られ修正がなされていくが,不幸なことに学者のポストを得ていなかったライトは,研究上のアイデアの盗用という悲劇を経験し,それを乗り越えて「復元モデル」を製作して解明に一石を投じた.アンティキテラの事実上の解読者ともいえるポジションにライトは置かれ,その共感が本書には強く認められる.バビロンの天体計算式「システムB」が紀元前260年までには(早ければ紀元前500年には)考案され,ギリシアに受け継がれていたと考えられている.建築や彫刻,哲学の分野では長けていたが科学力を用いた実用性の面では劣っていたと看做されることの多かった古代ギリシャにおいて,精密な機構を備えたアナログ・コンピュータの実例がアンティキテラであることは,もはや疑いを容れない.
アンティキテラの機械がなぜ,誰によって作られたかを解明することは,古代のテクノロジーが「原始的」で,現代のテクノロジーは「先進的」という概念を,覆すことでもあった.考えてみれば,現代人が正確に時間を刻む実用的な機械を求めていた同じところで,ギリシア人は知識を獲得し,天界の美を表現し,神々に近づく方法を追究していたのだ
この精密機器を,バビロニアの民は,数世紀にわたる天体観測の純粋な経験則でのみ実現していた.テクノロジーはルネサンス以降の遺物,あるいは18世紀以後のものと信じられた常識と通説.それを覆す英知の「再発見」の営みは,年代測定法,CT断層撮影と画像処理技術の発展をして解明競争の激化をもたらした現代の「最先端」である.アテネ国立考古学博物館の青銅器時代区画にプライスによる復元品と共に展示されている.その他の復元品は米国モンタナ州ボーズマンのアメリカ計算機博物館,マンハッタン子供博物館に収められているという.
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Title: DECODING THE HEAVENS
Author: Jo Merchant
ISBN: 9784167651794
© 2011 文藝春秋