▼『ウィリアム征服王の生涯』ヒレア・ベロック

ウィリアム征服王の生涯―イギリス王室の原点

 イギリス王室の原点.現イギリス王室の開祖,ノルマンディー公にして,ノルマン朝イングランド初代王,通称ウィリアム征服王の生涯を客観的歴史観によって描いた名著の翻訳.冷酷非情の暴君か,地上に恩恵をもたらした英雄か――.

 ランスのバイユー大聖堂で1730年に発見された綴織(タペストリー)には,1066年のウィリアム1世(William I)によるイギリス征服"ノルマン・コンクェスト"が一連の絵画で生き生きと描かれている.このタペストリーは,ウィリアムの異母兄であるバイユーの司教のために征服後すぐに作られたと思われ,イングランド王位継承権を正当化するノルマン人的史観を物語る文献である.  

 征服王ウィリアムは,1066年のクリスマスに戴冠した後,イングランドの政府機構を無政府状態から強力な北フランスの領土に変え,イングランドとフランスの王冠の間に緊張を生み出した.ケルト,ローマ,アングロ・サクソン,デーン(ノルマン)の民族融合と放逐を繰り返し,グレート・ブリテン形成が始まったのである.さらにヘンリー2世(Henry II)治世下に領土拡大,種々の改革や法制の整備も進み,繁栄の礎が築かれた.ノルマンなまりのフランス語が支配階級の言葉として用いられ,政治,社会,文化の各局面でノルマン朝の卓越性を誇る栄華を築いたのは,残虐ながら勇猛な征服王ウィリアムにほかならない.  

彼は自身の権利については何の疑いも持っていなかった.彼は正当な主張と神の恩寵によってイングランド王となったのである.神は,戦いという試練を与えることでウィリアムの主張を正式に認めたのである.その領土に新しい王朝を創始するのはまさしく彼の権利だった

 言い伝えによると,1071年頃征服王自らが,征服の殺戮を償うため,戦いの跡地に修道院を創設した.ノルマン・コンクェストの契機,ノルマン騎士軍を率いてイングランドに侵入したウィリアムが撃破したのはウェセックス朝最後のイングランド王ハロルド2世(Harold II)である.ノルマン人兵士の矢で眼を射抜かれて斃されたハロルド2世の亡骸――他の無数の遺体とともに野ざらしになっていたが,妻エディスが夫の特徴的な痣を目印に見つけ出した――が発見された場に,ウィリアム征服王は祭壇を建てたという.  

 本書の著者ヒレア・ベロック(Joseph Hilaire Pierre René Belloc)は,1891年にフランス市民としてトゥールの砲兵大隊で兵役を務め,その後オックスフォードのベリオール・カレッジ(歴史学科)を最優秀の成績で卒業.自由党下院議員として活動するが,議会政治に幻滅して1910年からは著述に専念するようになった.著述家として,英仏のカトリック史を書き直す野心を抱いていたが,むしろイギリス史のホイッグ的解釈――イギリスの偉大さはアングロ・サクソンおよびプロテスタント的背景によるものとする考え――に異議を唱え,史的解釈の修正のきっかけを与えた.  

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Title: WILLIAM THE CONQUEOR

Author: Hilaire Belloc

ISBN: 4794705948

© 2008 叢文社