▼『社会契約論』重田園江

社会契約論 (ちくま新書 1039)

 私たちが暮らすこの社会は,そもそもどんなふうに生まれたのか.社会の形成・維持に不可欠なルールが,現にこうして守られているのはなぜか.政治秩序の正しさは,誰がどう判断すべきなのか.社会契約論とは,そんな素朴な問いを根源まで掘り下げて考える試みである.本書では,ホッブズ,ヒューム,ルソー,ロールズの議論を精密かつ大胆に読み解きながら,この近代の中心的思想に新たな息吹をふき込む.今までにない視点から世界の成り立ちが一望できる,清冽な政治思想入門――.

 間の志向性に対する社会的制約は,古代ギリシアソフィストに議論の端緒があった.自然法的合理主義に基づく社会契約説は,個人相互間の,自由意志に基づく契約によって成立する国家論.その歴史的役割は,「政治権力の正統性」を根拠として,各人の生命の安全,また財産など(所有権)が守られることを主張する点にある.本書は,戦後啓蒙思想が社会契約論を「約束の思想」とは読まず,国家と個人の「対立」構図として読んできたことをソフトに批判する.その代わり,献身的な問題提起を厭わない.

人が両方の視点に立てること,そしてふだんはただの人でしかない共同体のメンバーが,政治に参加するときには市民となること,すなわち全体の一部としての「一般的な」視点に立つことが,ルソーの政治社会にとって必須なのである.人は,政治体の参加者あるいは主権者としては一般的な視点に立ち,一般意志に従って行為しなければならない

 個人間の拘束力の問題(ホッブズ),社会契約の批判と「約束の限定」(ヒューム),一般性と特殊性の関係性にかかわる「一般意志」(ルソー),正義の二原理(ロールズ)の闊達な解釈により,約束によって作られる秩序の思想をここでは掘り下げる.社会契約論は,アメリカ革命とフランス革命という18世紀の2つの革命において象徴的役割を果たし,「民族自決国民国家形成の理論的支柱」となったと著者はとらえる.自由・平等な個人を前提にするこの説が,自由主義国家が成熟するにつれ社会的公正性を失っていったのは,一元的国家観に属する説が弱体化していったからだろうか.

社会契約論は一般性の次元,あるいはこの意味での社会的な視点がどのように生まれ,なぜそれが秩序と社会的なルールの正しさについて考える場合に役立つかを示している.私はこの本を書くために,社会契約論について考えはじめたとき,なんて現実味のない,前時代の遺物だろうと思った.革命も新体制も焼け跡も,全くリアリティーのない今の日本で,社会契約論なんて誰も興味を持たなくて当然だと

 「この社会は間違っている.この社会を変えなければならない」という内的な衝動が,政治秩序の正しさや「一般意志」への疑問を著作として実体化させたようだ.社会契約論を本格的に論じた新書が存在せず,もはやアナクロニズムに陥った題材ではないかという危惧に反して,教養欲を刺激する面白さに溢れている.「人造人間」とプリントされたTシャツを着て,見事に屈託のない笑顔を見せる著者近影.これには深いパロディ精神がある.『リヴァイアサン』初版に載った有名な扉絵(王権と教権を手にした国家=巨人の図).このリヴァイアサンを,トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)は人工人間(artificial man)と規定していたのである.

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原題: 社会契約論―ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ

著者: 重田園江

ISBN: 9784480067425

© 2013 筑摩書房