▼『伝奇集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス

伝奇集 (岩波文庫)

 夢と現実のあわいに浮び上る「迷宮」としての世界を描いて,二十世紀文学の最先端に位置するボルヘス(一八九九‐一九八六).本書は,東西古今の伝説,神話,哲学を題材として精緻に織りなされた彼の処女短篇集.「バベルの図書館」「円環の廃墟」などの代表作を含む――.

 博な知識と教養で独自の文学的宇宙を構築したホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo).有限と無限の対峙から円環的に反復する多様な観念――時間,不死,廃墟,衰退,探求――は,表現主義やウルトライスモ(超絶主義)など前衛的思潮の影響の下にある.形而上学の骨格をなす永劫回帰をモチーフとして,無限の相が迷宮的なテクストに昇華され,超越的で大胆な官能性をもって新ラテン・アメリカ文学の先駆者にして不動の位置を確立した.

 いにしえの火事で焼け落ちた廃墟(円形の神殿)にたどり着いた寡黙な男――眠りのなかで「火」の像から魔術を授けられた彼は,人造の人間を創り出し息子として育てた.息子が成長すると,男は別の神殿へ息子を送り出した(「円環の廃墟」).バビロニアの国では,娯楽として始まった「くじ引き」に世俗的な権力と宗教的な権威を与え,民の運命を決定する装置として国家運営を図る.すると巨大な歪みがあらわれる(「バビロニアのくじ」).落馬によって,無限の記憶能力を身につけた男には,永劫の苦悩と孤独が待ち受けていた(「記憶の人,フネス」).全17篇.

 本書は,1942年に作品集『八岐の園』として刊行,1944年にさらに9編からなる『工匠集』を加え刊行された初期短篇集.1938年に父が死去した年にボルヘスは窓に頭を強打して生死の境を4週間彷徨った.回復後,以前の言語能力を失ってしまうのでないかと恐怖を感じたボルヘスは,「バベルの図書館」「円環の廃墟」など短篇小説を書き連ねて恐怖を払拭することを図ったのである.ラテンアメリカの前衛詩,社会詩で評価されていた彼は,以後は詩文ではなく簡潔な文章で異能や異次元の文学空間を創造してみせ,長編小説は一度も手掛けることはなかった.

数分で語り尽くせる着想を五百ページに渡って展開するのは労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である.よりましな方法は,それらの書物がすでに存在すると見せかけて,要約や注釈を差しだすことだ

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Title: FICCIONES

Author: Jorge Luis Borges

ISBN: 4003279212

© 1993 岩波書店