▼『神と野獣の日』松本清張

神と野獣の日 (角川文庫)

 「重大事態発生です」ある早春の午後,官邸の総理大臣にかかってきた,防衛省統幕議長からの緊急電話が伝えた.Z国から東京に向かって誤射された,5メガトンの核弾頭ミサイル5基.1発で,東京から半径12キロ以内が全滅するという.空中爆破も迎撃も不可能.ミサイルの到着は,あと…43分.ラジオ・テレビの臨時ニュースによって,真相が全日本国民に知らされた!SF的小説に初めて挑戦した松本清張の隠れた名作――.

 民作家としては吉川英治山本周五郎司馬遼太郎と比肩されるが,松本清張は,その誰よりも守備範囲を広く保ち続けた.「純文学」「私小説」「社会派文学」という括りでその全貌をとらえることはできない.社会の腐敗構造や権力者の非人間性,膨大な作品でその批判的精神のプロットを描き分けたと見るべきだが,清張は意外にも「科学は苦手」と洩らしていた.緻密な類推も科学的思考のセンスとは違うと清張は考えていたということだろう.

 キューバ危機が起こり,世相として核への恐怖が尖った時期に本書は書かれた.西側同盟国から,誤射により5基の核弾頭をつけたミサイルが日本に飛来する.3基の迎撃は可能だが,残る2基の破壊は絶対に不可能.この事実が判明した時刻は13時30分,着弾予測時間は15時09分.120分を切る短時間のうちに,国民にこの事実を報せるべきかどうか,阿鼻叫喚の「野獣化」,あるいは事実を知らずに,平常に家族と最期の時を迎える「神の子」.

 どちらを信じるべきかという総理大臣の苦慮は,生き延びた自分の政治生命と天秤にかけての決断となる.根本的には体制側への懐疑を根にもつ清張らしさが,本書にも仄めく.この作品は,旭日小綬章を授与されたブルガリア共和国の翻訳家バロヴァ・ドラ(Дора Барова)により,1978年に日本文学としてブルガリアに紹介された.夏目漱石川端康成三島由紀夫の文学に先行して,清張の文学がブルガリアに踏み込んだのである.

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原題: 神と野獣の日

著者: 松本清張

ISBN: 4041227623

© 2008 角川書店