パリの下町で暮らす少年アントワーヌは,学校では教師から叱られてばかりで,家庭では両親の口論が絶えず,息苦しい毎日を送っていた.そんなある日,親友ルネと学校をサボった彼は,街中で母親が見知らぬ男性と抱き合っている姿を目撃してしまう.翌日,前日の欠席理由を教師に尋ねられたアントワーヌは,母親が死んだと嘘をつくが…. |
子供の純粋無垢は道徳的観念と結びつけられ,無分別な振舞いに対する軽蔑の除去として教育の意義が唱えられたのは,17世紀初頭のことである.新しい道徳観念により,よい教育を受けた子供は小ブルジョワと呼ばれるようになり,無教育あるいは劣悪な教育の機会しかなかった子供との格差と差別を醸成した.フィリップ・アリエス(Philippe Ariès)は,子供は長い歴史の流れのなかで,独自のモラル・固有の感情をもつ実在として見られたことはなく,〈子供〉の発見は近代の出来事であり,新しい家族の感情は,そこから芽生えたことを『<子供>の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』で述べた.
フランソワ・トリュフォー(François Roland Truffaut)の淋しい少年時代の体験に基づく自伝的長編として,その名を世に知らしめた記念碑的作品.冒頭に「アンドレ・バザンに捧ぐ」というメッセージが掲げられる.少年鑑別所を出た10代のトリュフォーを引き取った映画批評家アンドレ・バザン(André Bazin)は,トリュフォーの庇護者となり批評誌「カイエ・デュ・シネマ」で彼に活動の場を与えた.トリュフォーは最初の映画批評を1953年に発表し,この雑誌で彼の情熱的な友人たちは,「作家主義」と呼ぶものの熱烈な擁護者となった.
ジャン・コクトー(Jean Cocteau)は「君の映画は傑作である.奇跡のようなものだ.親愛のキスを送る」と賛辞を送り,アレクサンドル・アストリュック(Alexandre Astruc)は,トリュフォーを〈愛のシネアスト〉と定義した.映画〈愛〉のモティーフをトリュフォー自身は〈女と子どもと書物〉と語っており,"女"は「突然炎のごとく」(1961)や「恋のエチュード」(1971),"書物愛"は「華氏451」(1966),そして"子ども"は,本作で12歳の少年が孤独にあえぐドキュメンタリー風のシネマ・ヴェリテとして描き出された.両親,家庭,学校とすべて人を寄せつけず,みすぼらしい通りに霧のかかったパリの街並み.その寂寥感は,少年アントワーヌの疎外感を代弁する.
すべてから逃走するアントワーヌを追跡撮影が活写,彼の呼吸のリズムは,両親と社会から断絶させられた幼き存在の悲壮さを語って印象深い.さらにフリーズ・フレーム(一時停止)によるアントワーヌのフリーズは,物語の枠を打破して鑑賞者の自覚と内省を叱咤するようだ.ドキュメンタリー・タッチの本作は,フランス映画として初めてワイドスクリーン(アスペクト比2.35:1)で撮影され,当時の文化大臣アンドレ・マルロー(André Malraux)の推薦を受けてカンヌ国際映画祭に出品され監督賞を受賞.トリュフォーと本作はフランス映画の新潮流"ヌーヴェルヴァーグ"の先駆として知られるようになる.
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原題: LES QUATRE CENTS COUPS
監督: フランソワ・トリュフォー
97分/フランス/1959年
© 1959 Les Films du Carrosse, Sédif Productions