▼『不可触民と現代インド』山際素男

不可触民と現代インド (光文社新書)

 今日まで続く,厳しい身分制度であるカースト制はなぜ三千年にもわたり保たれてきたのか….かくも長く,圧倒的多数の民衆が“奴隷化”されてきたのはなぜか….仏教発祥の地で仏教が抹殺されたのはなぜか….今,“歴史的真実”の扉が開かれ,塗り替えられようとしている.大国・インドで何が起こっているのか.現場からの迫真の書――.

 髪碧眼の遊牧民アーリア人が侵攻したインド亜大陸には,穏健な先住民がいた.鉄器をもって先住民を虐げ,支配下に置いたアーリア人は,ポルトガル人が「血統」を指して”カスタ”と呼んだことにならい,「カースト」と呼ばれる制度――祭事を司るブラーミン,王侯・戦士クシャトリヤ,商民バイシャ,奴隷シュードラの4階層――をインドに埋め込んだ.しかし,カースト制に含まれない階層がさらに存在していた.屍体と糞尿処理,ごみ集め,獣の皮剥ぎなどの職業を世襲化させられた「不可触民(後に指定カーストと呼ばれる)」である.ブラーミンは,神に選ばれし高貴な民がカースト制の頂点に君臨するブラーミンであることを啓発するため,神話『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』で支配の論理を不可侵なものと「布教」した.

 紀元前3000年に遡る支配と従属の文化が,不可触民の基本的人権を承認しない狡猾な社会の根底にある.全人口の85%に及ぶとされる不可触民層.圧倒的多数の民衆が「奴隷」として扱われてきた歴史の異常な冷酷さ.インド留学中に不可触民への非人間的処遇を目撃した著者が,自由経済体制で飛躍的発展を遂げつつあるインド社会に強烈な「違和感」を向ける.不可触民出身で,インド憲法制定に重要な役割を果たしたのは初代法相ビームラーオ・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar)の反カースト運動と仏教復興運動であった.「古き良きカースト社会」を実現させようとしたモハンダス・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)の矛盾を鋭く衝いたアンベードカルの思想は,現在の不可触民にいかに受け継がれているのか――.

 いったん日本に帰国した著者は,再度インドを訪れる.1975年に首相の座を追われたインデラ・ガンジー(Indira Priyadarshini Gandhi)の後,長期政権を保った国民会議派は,シュードラの支援を受けるジャナタ党に政権を明け渡した.しかし,ブラーミン階級が作り出した悪しき慣習は,容易に変質しなかったことをも知る.インド独立の父と崇められるガンディーさえ,カースト制を前提にした社会における「解放」を目指して指導するほかはなかった.アンベードカルの見抜いたカースト制の欺瞞は,ヒンドゥー教に駆逐された仏教の教義から「万民平等」思想をピックアップすることで,反カースト運動の要とした.

 神格化されてしまったガンディー「像」は,会議派政権下で,公に彼を批判することを禁じるまでに肥大した.プロパガンダの偶像となったガンディーとは対照的に,アンベードカルの思想を受け継ぐ思想団体バムセム,さらに不可触民から生まれた人民大衆党の結成などが,当事者のインタビューからリアルに解る.それにしても,社会の大多数を支配することに成功し続けるマイノリティ,それを許容する社会の異質性は,いったい何に由来するものなのか.あらゆる集団においては,マジョリティの声を代表する「平均」が最大勢力となりうるが,それに反する社会が存在する法則とは何か.

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原題: 不可触民と現代インド

著者: 山際素男

ISBN: 4334032230

© 2003 光文社