▼『異邦人』アルベール・カミュ

異邦人(新潮文庫)

 母の死の翌日海水浴に行き,女と関係を結び,映画をみて笑いころげ,友人の女出入りに関係して人を殺害し,動機について「太陽のせい」と答える.判決は死刑であったが,自分は幸福であると確信し,処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む.通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に,理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作――.

 政府活動でアルジェリアを追放され,「パリ・ソワール」紙記者になった1942年,アルベール・カミュAlbert Camus)はフランス自由地区シャンボン・シュール・リヨン付近の小村ル・パヌリエに居を移した.この若く無名の一エッセイストが同年6月に『異邦人』,12月に『シーシュポスの神話』をガリマール社から刊行すると,戦後ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)と並ぶフランス文学の代表と絶賛された.上記の2作は,ともに不条理と実存主義の思弁を扱っているが,不条理の哲学がテーゼとして生き生きと積み上げられているのは,小説の形をとった本書の方である.

 「不条理」は,進行し続ける状況の不可解さと,非論理的な推論の上に成り立つ.しかし,カミュはこの言葉に独自の解釈をもたせた.養老院で死んだ母の葬式にも涙を落とさず,不可解な殺人を犯して動機は〈太陽のせい〉と嘯くムルソーの一人称からなる「中性の文体」の斬新さ.反社会性を法廷で裁かれるムルソーは,実際の殺人罪よりも母親の死にも心を動かされない「モラルの欠如と無感情」を責めたてられるが,死刑を控えた彼は,それでも自身を幸福であると確信し,見物人からの憎悪を心待ちにする.

 カミュは17歳のとき結核を発症,喀血して生涯の健康に影を落とした.カミュの母は,息子に忍び寄る死を恐れる気振りを見せず,無関心を「装った」.カミュは母のその態度に混乱し不信を抱くが,母の無関心には自分も無関心で応じる.人間的な感情をもちえないと見なされたムルソーに対する糾弾は,ムルソー本人にとってはどこまでも無意味であり,言葉だけが空費されていく.客観による「明晰な認識」に対峙する,第三者には決して理解されない「内観的な不可解」.

 本書の「不条理」は,両者の埋めようもない根源的な隔たりを意味している部分に独自性がある.ファウスト的な衝動や悪意をもって人間社会に挑むのではなく,感情を誰にも読み解かれず理解されない悲劇を演じながら,ムルソーは恬淡としている.その姿を通して,人間の理性やモラルの実存に本質的な疑問を呈する不条理のテーゼ.カミュは本書で戦後世代の鋭い知性の英雄として,――暴力革命とマルクス主義を否定することに関する「カミュ=サルトル論争」の起きるまで――フランス戦後文壇の寵児となった.

++++++++++++++++++++++++++++++

Title: L'ÉTRANGER

Author: Albert Camus

ISBN: 4102114017

© 1951 新潮社