▼『ジーニアス・ファクトリー』デイヴィッド・プロッツ

ジーニアス・ファクトリー

 知られざる「ノーベル賞受賞者精子バンク」の興亡を,創設者である大富豪,それに加担した大物科学者,利用者たちの生涯と重ねて紹介.取材のためには自分で精子バンク・ドナーを体験することも辞さない著者が,バンクで人生が変わった人々の生活に踏み込み,共感豊かに現代社会の家族像を考察するノンフィクション――.

 国における精子バンクは,匿名ドナーと公開ドナーのいずれにおいても,安全性が担保されているということになっている.6ヶ月間に及ぶ精子の健康審査があり,アセスメントされた人気商品はスーパーモデルなど「美貌面」,また科学者や企業経営者など「頭脳面」から判断される遺伝子である.米国の生殖ビジネス市場は1億6,400万ドルという規模に達している.プラスチックを利用した頑丈な眼鏡レンズで財をなしたロバート・グラハム(Robert Graham)がカリフォルニアに創設した「レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス」(胚の選択のための貯蔵庫).

国民全体をパスツールやフランクリンのような優れた人物の子だけにすればよい!男性の多産性という概念は,女性は子供を宿す装置のようなものという概念と結びつき,恐るべき,そしてどことなく冷たい未来像――天才工場(ジーニアス・ファクトリー)――を生んだ

 1980年のバンク設立から,後継者不在で1999年に閉鎖されるまで,グラハムは知能検査で高い成績(上位2%)の女性に,ノーベル賞受賞者を含むドナーの精子を受精させることを社会的使命と自認していた.これは,1964年に不妊の人工授精のために登場してきた精子バンクの意義とは明らかに違う.知性の遺伝率は50%-90%と信じていたグラハムの理論に従えば,劣等な人類の増殖は優秀な人種を圧迫し駆逐する.このような親優生学の思想から,当然ながらグラハムのレポジトリーには批判が集中した.だが19年間の活動期間で,事実200名以上の子どもが誕生している.彼らは,グラハムが思い描いた精鋭部隊としての人生を歩んでいるのか.

 本書が明らかにするのは,デイヴィッド・プロッツ(David Plotz)の呼びかけに応じて現れたレポジトリー利用者の現状である.「チョイス」された子どもたちは,一人を除きエリート層とは距離を置いた生活をしていた.出身者を網羅的に調査したわけではないので,ここから一般的法則を導くことはできない.しかし,レポジトリーが追跡調査を行っていなかったことから,いかに人間の能力の先天的要素しか問題にしていなかったかがよく分かる.子育てに対する養育者のスタンス,同じ両親から生まれたきょうだいの個性が千差万別であることと同じように,いかなる条件で生を受けた子にも本領を発揮できる環境と分野がある.

 その一致点までは,胚の選択理論は実現できていないという至極当然の事実.氏に育ちを乗じても,優秀の度合いと幸福の指数は算出できない.人類の遺伝プールを設営しようとしたグラハムの目論みは,天才の人為的生産の野望と等しいものである.創設者の思い通りに「天賦の才の集団」を築くことにはならなかったレポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイスの試み.だが,プロッツの取材に応じたレポジトリー利用者(親)のうち,利用を悔やんでいるのは僅か一名だったという.

++++++++++++++++++++++++++++++

Title: THE GENIUS FACTORY - THE CURIOUS HISTORY OF THE NOBEL PRIZE SPERM BANK

Author: David Plotz

ISBN: 4152086580

© 2005 早川書房