▼『藏』宮尾登美子

蔵〈上〉 (角川文庫)

 新潟の旧家,蔵元の田乃内家に生まれようやく育った娘,烈.家族の愛と希望を一身にうけて成長していくが,小学校入学を前に,失明にいたる目の病を患っていることを知る.過酷な運命を背負う烈と祖母,父母,叔母たちが織りなす愛と悲しみの旅が始まった――.

 末に来日したオランダ海軍軍医ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト(Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort)は,日本は世界のどこよりも病気で失明した人が多いと述べた.今も中途失明に至る病として先進国で問題視される疾患に,色素性網膜変性症がある.夜盲に始まり,網膜の視細胞はアポトーシスにより死滅していく.発症頻度は通常4,000人から8,000人に一人で,遺伝性・進行性の難病であり,治療法は確立されていないという.

 「弱い者がどう扱われているかによってその国の文化程度がわかる」と主張していた日本の盲女子教育を先導した斎藤百合.斎藤もまた全盲であり,晴眼者の女子教育とは根本的に異なる「自助努力」を奨励した女性であった.戦前の大正時代,新潟に生まれ4歳で失明,斎藤の薫陶を受けて生涯を視覚障害者の教育に捧げた粟津キヨと,田乃内烈の共通点は多い.烈に特定のモデルは存在しないとされているが,同時代に盲目という逆境に対峙した女性の実像を窺わせる.銘酒を醸造する酒蔵・田乃内家に,女人禁制というタブーを打ち破ろうとする烈.

 盲学校師範科の教科書に「盲女子の結婚は,いかなる場合においても望ましからざるなり」とあった時代,雑菌の侵入による「腐造」を何より嫌う酒蔵に,彼女は挑む.その名の示す烈しい気性と明晰な頭脳に,当主である父意造は圧倒される.戦前の新潟県亀田町に厳然とあった因習に,東京帝国大学卒というインテリの意造も和合していた.病弱な妻賀穂の死後,後妻せきとの間に生まれた待望の長男丈一郎も不慮の事故で死去,長女の烈は失明に向け確実に病は進行していく.引きも切らぬ凶事に,意造も心労と病で半身不随となり,酒蔵を閉鎖を考えていた矢先,蔵を閉めることを許さぬ烈の情熱的な説得を受ける.

 嗅覚を頼りに蔵元の務めを果たす志を誓う烈にほだされる意造.親子が封建的な酒蔵開放を決意した瞬間が燦然と輝く.烈は心眼で見初めた蔵人の涼太への思いを成就させ,婚礼の儀に臨む希望のなかに,この物語は幕を下ろす.本編に付されたわずか7ページの「作者付記」が,その後の田乃内家の憂いと歓びを明かす簡潔な系譜となっている.長い本編に呼応して,付記が濃密な実質をもっていることが圧巻.人生の対峙者が懸命に生きた証,自立心と責任感が超克する壮烈さに感慨を覚える.宮尾登美子の瞠目すべき筆である.

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原題: 藏

著者: 宮尾登美子

ISBN: 9784041718032, 9784041718049

© 1998 角川書店