■「砂の器」野村芳太郎

<あの頃映画> 砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

 迷宮入りと思われた蒲田操車場殺人事件.捜査を担当する警視庁刑事・今西と西蒲田署刑事・吉村は,「東北弁のカメダ」という言葉を手がかりに東奔西走,犯人に肉薄した.そこで二人が見たものは,栄光の階段を上りつめる天才音楽家の隠された宿命だった….

 本清張の原作に,たった3行だけ書かれていたのは,理不尽な差別を受け全国を行脚する親子の過去だった.行間に潜む意味を最大に膨張させ,脚本を再構成し,映画の骨格に位置づけることに成功した作品である.原作は推理とサスペンスを主体としていたが,日本に蔓延していたハンセン病差別を鋭く断罪する社会批判の観点も持っていた.

 風光明媚な各地を放浪する親子に,もとより何の咎もない.残酷なまでに美しい四季と,人間の善意と悪意は常に同居して共同体が維持され,鉄の掟で人々を遇してきた.負うべき咎は,犯罪者とそれを生み出した社会にあることが本作では描かれる.文学の視覚化によるイマジネーションの劣化は,多くの場合避けることができない.それを映画製作者がいかに自覚し,壁を越えるための努力を払うかが問われていく.だからこそ,芸術のジャンルを隔てて価値を示すことは難しい.本作は,原作者自らが「この映画は原作を超えている」と評した.「業病」とされたハンセン病患者を差別し,隔離し,隠匿してきた報いとなって現れた社会悪の因果は,すなわち社会に帰することを観る者に突き付ける.

 かつてハンセン病は,業病とされ忌み嫌われた.当時は癩病と呼ばれ,外見に顕著に現れる疾患の特性から,様々な迷信と謂れのない差別の対象とされた病であった.前世の贖罪あるいは先祖の悪業がこの病の源であり,発病はそれ自体,悪徳への報いであると信じられたという.ハンセン病の罹患者が血族に出現するだけで,一家離散が強いられ,共同体から排除されることが不文律となっていたのである.本作は,ハンセン病に向けられた差別と偏見の直視を拒む社会の欺瞞の堆積が,いかに人間の尊厳を奪い続けてきたかを,凶悪犯罪の背後に配置する.

 現在,ハンセン病は,鼻や気道より癩菌が侵入する感染経路が明らかにされ,その感染力は非常に弱く,特効薬により快癒することが解明されている.しかし,昭和10年代には官民一体となって推進された「無癩県運動」で,「祖国浄化」をスローガンにした強制隔離が進められた.患者の強制隔離絶滅政策を基本とした「らい予防法」は,実に1996年まで存続したために,ハンセン病に対する誤った理解と差別は,長らく継続された.

 人間は,それぞれに抱えた宿命から逃れることはできない.映画の冒頭で登場する“砂の器”は,いかに巧妙に作られたとしても,風雨に耐えることはできず,水を湛えることもできない.さらさらと崩れ瓦解していく偽りの器.そこには,いかにしても原型を留めることのできない哀しさと,そのことからやはり逃れようもない宿めが暗示されている.原作に書かれていたわずか3行の描写.それをイマジネーションにより映画の中枢に位置づけられた原風景が圧巻である.幼いころの和賀と,病を得た父の全国行脚は,悲壮なものだ.村を追われ,行く先々でも蔑視と嫌悪が彼らを見舞う.しかし,現実とは裏腹に日本列島の四季は残酷なまでに美しい.

 真冬の荒海と雪景色,満開の桜並木を歩く親子の上に散る桜吹雪,萌える緑に縁取られた沿道を淋しげに旅する二人.和賀の披露する曲「宿命」に乗せ,情景の一コマが連続して折重なっていく.犯罪者となった和賀の心象風景は彼の胸に刻まれ,だれも侵すことはできない.その荘厳さが籠められた描写であり,物乞いのような姿になって各地を放浪する2人の異形が際立つのである.

 何の落ち度もなく,社会から圧殺された和賀は,社会を何よりも憎悪する.新進の音楽家として社会的成功を収めても,誰にも心を開くことはない.情婦の妊娠が発覚しても,子を産み育てることを決して許さない.ハンセン病は,当時は遺伝も疑われていた.もし隔世遺伝が起きるならば,自分は子を持つことなど許されない.その意思を頑なに通そうとする和賀を,石仮面のように飄々と演じた加藤剛はすばらしい.人に対する感情を捨て去った男は,親に対する愛情を封印しようと努めていた.それを開放しようとしたのが,三木元巡査だった.自分の不甲斐なさが,親子を生き別れにさせてしまった悔いから,三木は「力尽くでも父親に会わせる」と力説する.この善意の塊のように純朴な巡査を演じた緒方拳は,回想シーンでしか登場しないが,率直で情の深い役の造詣は実に見事.

 客観的に何の咎もない三木を,和賀は手にかけた.このことは,和賀が忌み嫌う社会の自分への仕打ちとなんら変わりのない不条理であり,殺された三木は和賀の殺意の理由を理解しないまま死んでいったことだろう.ここに,善意だけで人を援けることはできない真実と,人の運命にかかわるということは,その人の人生の決定事項を握ってしまうキーパーソンになりうることが示されている.和賀の写真を見せられた父・千代吉は,慟哭しながら「そ,そんな人,知らねえええええ!!」と絶叫する.ハンセン病の自分と息子の親子関係が明るみに出れば,どれほど不利益をもたらすかを千代吉は熟知しているからである.愛する息子であるから,親子であることを拒絶しなければならない不条理.

 砂のように崩れさる栄光と虚偽の姿であっても,親子の情だけは消えない.三木の説得により,和賀は心を掻き乱された.人間は,他人の人生にいかなる局面であれ,責任をもつことができるのだろうか.それは,非常な困難を伴うことと考えなければならない.社会に堆積された矛盾が,このような犯罪の温床になることは事実だろう.同時に,個人の暗部に不用意に触れることの酷さを戒めてもいるのである.

 脚本を担当した橋本忍は,原作の連載が開始された1960年初めから,映画化を切望していた.小説の結末を知る前から,すでに親子の放浪シーンをキーとする映画の構成にしようと決めていたという.山田洋次の協力を得て,第一稿を完成させたが,題材のデリケートさとロケ費用の大きさが懸念され,完成まで14年の歳月がかかっている.最終的には,橋本と山田がこだわった作品性を損なわず映画化されたことになる.その執念には敬服せざるを得ない.亀嵩の撮影は,1974年8月23日から開始された.三木巡査が親子を発見し保護するシーンがこの時撮影された.この地の旅館にロケ隊は滞在したところ,地元の夏祭りの時期と重なったため,俳優陣は地元住人と交流し愉しんだ.また,読売新聞社の松江支社の相談役・若槻卯吉(当時)の自宅で茶室の撮影が行われる予定だったが,たまたま若槻の家は改築したばかりで,雰囲気ががらりと変わってしまった.そこで,撮影は急遽,別宅で行われることになったという.

 本作のテーマ曲にもなった「宿命」は,菅野光亮の書き下ろし作曲である.音楽監督芥川也寸志が務めた.物語の後半45分は,この大曲に合わせて進行する.しかし,お世辞にもクラシック曲として高い完成度にあるとはいえない.虚飾の和賀の盛衰に合わせて曲風を調整したのだとしたら,綿密といえるだろう.和賀の犯罪の真相に辿り着いた今西刑事を演じた丹波哲郎は,自身の戦後生活の記憶と和賀の過去とを重ね合わせ,逮捕状を請求する長口上のシーンで感極まり嗚咽した.思いがけぬアドリブであったが,そのままフィルムに採用されている.

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原題: 砂の器

監督: 野村芳太郎

143分/日本/1974年

© 1974 松竹=橋本プロ