トマス・ハリスの連作「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」に登場するハンニバル・レクター博士に関する研究書.作品の中で成長した20世紀最大の怪人物の謎を,様々な角度から読み解く――. |
トマス・ハリス(Thomas Harris)の造形した"怪物"ハンニバル・レクターは,世紀に屹立する猟奇性と常軌を逸した明晰な頭脳からなる解析力の申し子.常人には計り知れない恐怖の理知,その秘密に分け入ろうとする者は,レクターの「心眼」と「訊問」に耐えきれず発狂するであろう.本書は完全に“趣味”の世界として,レクターの原風景や嗜好の回路を考察しようとする.レクター四部作(『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』『ハンニバル』『ハンニバル・ライジング』)のうち,『ハンニバル』で描写された無限の知性の象徴”記憶の宮殿”.
ナード・ファッションの対象たりうるほどに,人口に膾炙した怪人の果敢な分析を本書に期待したが,見事に肩透かしに終わった.古代の学者が嗜んでいたといわれる記憶術が”記憶の宮殿”であり,それはレクターの脳内に構築された広壮な空間.規模と複雑さにおいてはイスタンブールのトプカピ宮殿に比肩し,稀少な美術品の数々が配された1千もの部屋と数マイルに及ぶ廊下を備えている.
レクターは8歳の時,”記憶の宮殿”を徘徊して,あらゆる貯蔵記憶を抽出する術を家庭教師ヤコフから学んでいる.妹ミーシャの惨殺がトラウマとなり,猟奇嗜好を形成したが,後年レクターが心を許したクラリス・スターリングと”記憶の宮殿”を共有することで,忌まわしい幼少時の記憶――その傷――が癒されることとなる.驚異的記憶力の「記銘」の手続き(プロトコール),直観像のマニアックな分析を本書で読みたかったが,誰にとっても手に余る仕事だったという理解が先に立つ.
余談だが,映画「ハンニバル・ライジング」(2007)公開を記念して六本木で開催された制作者,監督,主演俳優の合同記者会見では,会場を「ハンニバル・レクター記憶の宮殿」と名付け,テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)やウィリアム・ブレイク(William Blake)の絵画の映像が四方の壁に映し出され,黒いマスクをした給仕が高級ワインや脳スイーツ(モンブランの脳みそ仕上げ,ジュレ掛け)を供したという.グロテスクでありながら人間離れした美意識,精神の至高性を体現したレクターの内面を模倣するには,下劣過ぎるインテリアだった.
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Title: DR. HANNIBAL STUDY
Author: Richard Macdonald
ISBN: 4931391842
© 2001 夏目書房