一九四五年の夏,敗残の日本軍はビルマの国境を越え,タイ国へ逃れようとしていたが,その中にビルマの堅琴に似た手製の楽器に合せて,「荒城の月」を合唱する井上小隊があった.水島上等兵は竪琴の名人で,土人に変装しては斥候の任務を果し,竪琴の音を合図に小隊を無事に進めていた.やがて,小隊は国境の近くで終戦を知り,武器を捨てた.彼らは遥か南のムドンに送られることになったが,水島だけは三角山を固守して抵抗を続ける日本軍に降伏の説得に向ったまま,消息を絶った…. |
人間特有の理性からくる希望は,科学と芸術による真理,そして柔和なユーモアに求められる.コンラート・ローレンツ(Konrad Z. Lorenz)『攻撃』の結論部を,ありありと思い起こさせる.音楽の徒であった井上隊長の手ほどきを受けた水島上等兵の繰り出す竪琴の音色.さらに,隊員の心のよすがとして編み出された合唱.敗戦後の瓦礫と化した市街を知る人も,熾烈を極めた遠いビルマ(ミャンマー)の戦地に赴いた兵士も,琴線に触れる音楽性は同じである.「旅愁」「ああ玉杯に花うけて」「荒城の月」が奏でられるが,原作で登場した「箱根八里」は省かれている.士気を鼓舞する唄として,このうえない効果が狙われた楽曲を除外したのは,意外でやや残念.人の感情は,妙なる音楽の調べに乗せることができる.
悲しみや喜びを増幅させ,逆に払拭させるのも音楽の特色ある機能だろう.人知れずビルマの地で出家を選ぶ水島と,小隊がすれ違う場面は,「ムドンへ向かう橋の上」「英軍戦没勇士慰霊式典」「涅槃像」の3つである.水島にあまりに酷似した風貌の僧侶は,鮮やかな色取りの鸚鵡を肩に乗せていた.その鸚鵡にはきょうだいがいる.片言の日本語を話すモノ売りの老婆から鳥の片割れを買い取った井上は,鸚鵡に日本語を吹き込んで疑わしい僧侶の反応を見ようとした.同胞は,ナショナリティを分けた事実に背を向けることができないだろうという井上の予測と願いが,「オーイ,ミズシマ.イッショニ,ニホンニカエロー」のそっけない短文に籠められている.
人物の心の動きは,彼らが唄い,演奏する歌曲以外に,伊福部昭によるBGMの影響も大きく作用している.祖国に永久に戻れないまま,打ち捨てられた日本兵の遺骸.悲痛のあまり顔を歪める水島の放浪は,絶望的なトーンだ.杜甫の詩「春望」には,「国敗れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」と詠まれた.だが,野生の獣に啄ばまれ,風雨に野ざらしになる同胞を捨てて日本に帰ることなどできない.柵を隔てて,狂ったように水島の名を叫ぶ兵士たちと,竪琴をかき鳴らす水島の応答は,戦が破壊したものは国土だけでなく,人間性の荒廃をも招いてしまったと痛切に感じさせる.
日本人の倫理観や死生観を,寓話として描いた竹山道雄はビルマを訪れたことがなく,従軍経験すらない.したがって,戦記としてもリアルな反戦童話としても貫徹されていないと評価されることの多い原作だが,「戦争はこうやって傷と哀しみを螺旋状に撒き散らしていったではないか」との視点までもは,軽視されるべきではない.映画は,1984年に市川崑によりセルフ・リメイクされた珍しい作品.「ビルマの土はあかい 岩もまたあかい」――カラーでなければ表現できないものを追求したフィルムになったが,戦時を壮年期に被らせて俳優活動を続けた戦中派の出演者は姿を消し,戦後世代の役者の台頭が著しい1984年版は,1956年版に立ちこめる苦汁の念が相当,希釈されてしまった作品になった.
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原題: ビルマの竪琴
監督: 市川崑
116分/日本/1956年
© 1956 日活