■「プライベート・ライアン」スティーヴン・スピルバーグ

プライベート・ライアン スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

 アメリカ軍兵士の目をとおして語られる物語は,まず第2次世界大戦の歴史的D-デイ侵攻作戦から始まる.そして上陸してからは,今度は兵士たちの危険極まりない特別な任務へと続く.ジョン・ミラー大尉は,ジェームズ・ライアン二等兵を探し出すため,部下とともに敵陣深く浸入する.4人兄弟のライアン二等兵は,ほかの3人の兄弟をすべて戦闘で亡くしたのである.作戦遂行が不可能に思えたとき,兵士たちは命令そのものに疑問を持つ….

 家対国家の争いは,畢竟個人と個人の殺し合いに撞着せざるを得ない.そのことにほぼ特化した稀有な映画.国家や政府は,大多数からなる人々の「意思」を少なからず反映するものでなくてはならない.意思は個人から発せられる.アパム伍長との対話で,ミラー大尉は「戦争は人間の感性を研ぎ澄まし養う部分がある」というラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)の個人主義を嘆息とともに批判した.職業軍人として戦地に赴き,敵兵の“殺害人数”あるいは,「社会に偉大な貢献をする奴」の存命と部下の生命を天秤にかけることを強いられる自分に所詮,通用する言葉ではない――ミラーの心境は,『道徳および立法の原理序説』の第2版欄外注において,「功利の原理を最大幸福あるいは最大多数の最大幸福に置き換える」と述べたジェレミ・ベンサムJeremy Bentham)に即しているべきと常に自己を律するものだったはずだ.

 それゆえ,8人もの兵員を投じて一平卒ライアンを救出する作戦には承服しかねるものがある.だが,ミラーは部下に範を示すため「気の進む任務がどこにある?」と率先して敵陣を攻略する指揮をとる.個人の見解を殺すことが兵士の任務であるという表明だが,「正義の戦争」と称された大戦において,人間たる兵士が抱える苦悩,容赦なく肉体を貫き破壊する戦場の情景が衝撃的な抒情詩となる.これを映画として真っ向から描こうとする気概は,他の追随を許していない.暗号名「オーバーロード作戦」としたノルマンディ上陸作戦における“死線”(まさに字義通り)の描写は,実に25分に及ぶ.連合軍の兵員約16万名,航空機約1万3,000機,艦艇約5,000隻.崖の斜面の地の利を生かしたドイツ軍の猛攻は,ミラー大尉が侵攻した地域がもっとも過酷であったという.

 本上陸作戦でアメリカ軍の犠牲者は2,500名に上った.兵士の目線で陸海を彷徨う撮影技法は,1945年6月6日の酸鼻を極めたオマハ・ビーチに鑑賞者を否応なく引きずり込むだろう.彩度を落としざらつかせた画面の臨場感も途轍もない.銃声や大破の音響は,可能な限り実物から録音され,現地リエナクター(歴史再現家)の協力で米独の軍装には精巧なレプリカが製作されている.スティーヴン・スピルバーグ(Steven Allan Spielberg)は当初,イギリスで上陸作戦の撮影を敢行するつもりであった.しかし英国防総省が難色を示したため,アイルランドのウェクスフォードに変更された.アイルランド陸軍はエキストラとして250名の兵士の出演を快諾し,戦場の「実態」を執拗に描くことに拘ったスピルバーグの緊密なビジョンに貢献した.

 南北戦争で実子すべてを戦死で失った婦人へのエイブラハム・リンカーンAbraham Lincoln)の手紙は,誠実さの中に粉飾が紛れ込む.それは自軍の士気の低迷に対する懸念である.この教訓をライアン家に援用する参謀総長の思惑.老いたライアンが家族とともに“D-デイ”の戦没者を参拝する場面の終局は,古兵の最敬礼とともに勝利の"V"が墓石の配置で浮かび上がり,はためく星条旗が映し出される.これで人間の精神性が勝利したと解釈するほど,楽天的にはなれそうもない.彼らは不本意を抑圧する中で納得し,合意の意味も深く洞察するいとまもなく戦地に投じられ,“駒”同然に扱われ散っていった.その一点において戦勝国と敗戦国の違いはないという視点が,徹底した兵士目線の戦地に置き去りにされてはならないはずだからだ.

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原題: SAVING PRIVATE RYAN

監督: スティーヴン・スピルバーグ

170分/アメリカ/1998年

© 1998 Amblin Entertainment