▼『学閥支配の医学』米山公啓

学閥支配の医学 (集英社新書)

 学閥(ジッツ)とは,わが国独特の同じ医学部の卒業生で作られる,見えない組織である.医者同士が初対面の時,まず卒業年度と出身校を訊く.先輩か後輩か,国立か私立か,医局はどこか.これによって医者の間に微妙な力関係が生じる.旧帝国大学医学部を頂点とした学閥は,医学界そのものを支配している.大学病院のスキャンダル,医療過誤の背後にも見え隠れする.学閥に屈することなく,医学的な真実だけを追究できる医者が,なぜ育たないのか.本書は,学閥の成り立ちから,現在までの経緯を糺し,今後どう改革していくべきかを提言する――.

 露本の中には,笑止で終わらせることのできるものと,文字通り洒落にならないものがある.専門の診療科で権威とされる医師や医局があるとしても,国民はさほど抵抗を覚えるものではない.全国80の医科大学が「旧帝大」「旧制医科大」「旧医専」「新設国公立医大」「新設私立医大」に区分され,内実は絶望的なまでのヒエラルキーに支配されている.もっとも,外部にその異常さは判らない.おしなべて「お医者様」であり「医学博士様」であるように見える.新設私立医大で医学博士号取得者,母校医学部助教授を辞任したという著者のカミングアウトは,自嘲的かつ自棄的.医学博士とは立派な称号のようだが,実はその内容はどうでもよく学問的に「無価値」ですらあるという指摘は,なかなか刺激的.彼をそうさせる体質が「大学医学部」という組織であることを披瀝する.

神経学では,変性疾患と呼ばれる神経細胞が原因不明で壊れて症状を出す病気を研究対象にするのが王道と考えられている.そのために東大の神経内科は伝統的に変性疾患を研究対象にしている.しかし,慶應大の神経内科では,脳梗塞脳出血といった脳血管の病気,つまり脳卒中を専門に研究している

 私事ながら,親類に地方国立大医学部卒の医者がいる.元来,得意分野は文系でありながら「医師になる」という一念を実現した才媛.受験時の学習時間は,1日10時間以上に及んだ.入学後,優秀な成績を修めた彼女は,上位国立大医学部に学籍を移さないかともち掛けられた.抜擢である.しかし彼女はその話を辞退した.本当の理由を端的にいうと,よそ者の自分が新医局で「疎外」されることを危惧したためである.これほど優秀な人でも,鵺のごとき学閥の牙城に切り込むことは断念したということである.本書で再三主張されるように,全国約2,400の医局で,学閥による計略は医師個人の進退のみならず,医局の優位性に多大な影響を及ぼしているという.総合病院などで誇らしげに掲げている「医は仁術」とは滑稽なほど空疎.実際は「政治算術」以外のなにものでもない.

 東大・京大をいただく最高学府としての旧帝大は,旧制医科大学,旧医専に教授を送り込み,統制の仕組みを作り上げた.私立の中では慶應義塾東京慈恵会医科,日本医科の「御三家」三大学が自校出身の教授を生産し,健闘している.中でも,慶應と東大の仇敵の間柄という記述が面白かった.同じ専門でも,犬猫と同じ縄張り争いに汲々としている.極めて高度な頭脳集団でさも当然に継続されているのである.新設大学の医学生に対する旧帝大出身の教授の物言いは凄まじく,まるで馬鹿扱いしていたことにこちらが唖然.本書は,調査資料がしっかりしている.大学の難易度別に,教授養成の「分布図」はほぼ予想通りで笑える.

 「1県1医大」「人口10万人に医師150人」の掛け声の下に新設医大ラッシュ(私大16校)となった1970年代以降も,基本的構図はなんら変わっていない.学閥が利権を選択的に集中してきた経緯は理解できる.そのことの悪弊も十分すぎるほど指摘されてきている.しかし,財閥解体ですら,戦勝国占領政策で遂行されてきたのである.極度に閉鎖的で保守的な専門機関の因習が自然発生的に改められるわけはない.国内から改革や学閥解体論が上がってこようと,現状では葬送曲のファンファーレにしか聞こえない.医局の動向が新薬の認可にすら波及するのである.人材の割り当てに関していうと,医をもって世に尽くすとは到底いいかねる噴飯もののアイロニカルが支配している実態で,洒落にならないのである.

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原題: 学閥支配の医学

著者: 米山公啓

ISBN: 4087201716

© 2002 集英社