人間,どう生きるか,どのようにふるまい,どんな気持で日々を送ればいいか,本当に知っていなくてはならないことを,わたしは全部残らず幼稚園で教わった.人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく,日曜学校の砂場に埋まっていたのである.―数千万のアメリカ人が,なるほどと手を叩き,日本でも大反響を呼んだ感動のエッセー集――. |
天気のいい日の昼食時間は,弁当を片手に気分転換に出かける.近辺の公園には噴水があり,昼時には幼児を連れた母親たちが多く集う.子どもたちが弾けるような笑顔でハトを追い回したり,ブランコにしがみついている姿を眺めながら,ゆっくりと食すランチは,格別だ.砂場で遊んでいる子たちを見ると,親切にスコップを貸してやるタイプ,子どもながらにテリトリー意識が強いのか意地悪ないじめっ子タイプ,孤独主義なタイプ,いじめられながらもなんとか仲間に加わろうと努力するいじらしいタイプなど,生まれて数年ですでに,多種多様な性格が出来上がっていることが分かる.かと思えば,親切に見えても,実は陰のフィクサーであったり,気弱に見えて案外図太かったり,彼らの役割は流動的である.子どもの社会も大人の社会も,本質的には大差ないことを見せつけられて,苦笑する.
本書は,アメリカをはじめ世界で"フルガム現象"を巻き起こした珠玉のエッセイ集.「ありきたりのことに関するありきたりでない考察」は,ラテン語で「志」「信条」「約束」を意味する“クレド”の意義を説く.何も,新しいコンセプトを学ぶ必要はない.人が生きていく上で知り,実践すべきことは「基礎」である.何でもみんなで分け合うこと.ずるをしないこと.人をぶたないこと.使ったものはかならずもとのところに戻すこと.散らかしたら自分で後片づけをすること.人のものに手を出さないこと.誰かを傷つけたらごめんなさいと言うこと――.
本当に知っていなくてはならないことを,わたしは全部残らず幼稚園で教わった.人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく,日曜学校の砂場に埋まっていたのである
ソニーの創業者・井深大は,幼児開発協会などを通じて,知的能力の発達を促す早期教育の推奨を行った.1960年代のことである.脳科学と発達教育の協働を推進した井深だが,後に,「知的能力の早期開発よりも,他者を思いやる心を育てることが先決だ」との結論に達した.平成10年版「厚生白書」,国会議事録には,3歳ごろまでの脳の成長は重要である,と述べられた.“3歳児神話”には今でも根強い支持がある.知育,情操の両面で幼児期は重要であることは事実であろうが,どこまでクリティカルなものかは議論がある.本書で述べられる印象的な記述は,そのままタイトルに採用されたが,教育論だけを論じたエッセイではない.洗濯の楽しみ,愛すべき家族や隣人,手をつなぐことのできる「人魚」,すべての発想と視点は,日常生活に埋もれている.それを掘り起こすことのできる眼差しは,日々の退屈な暮らしの中にこそ求められる.
本書は,ロバート・フルガム(Robert Fulghum)の「話の落穂拾い」として長年書き溜められたものだ.まったく体系的ではないエピソードの羅列,そこにフルガムの人間観,社会観が滲み出ていて,多くの国で共感を呼んだ.頭をからっぽにして楽しく読める.幼稚園に通っていた頃の子どもが父にプレゼントしてくれたというガミー・ランプ(べたべたのかたまり)の話が心温まる.不細工な箱には,大きな字で「大好き」と父親へのメッセージがあり,底にはマカロニで作った×や○が23個も付着している.キスとハグの記号だ.ゼリービーンズとガムドロップが溶け出したひしゃげた箱ガミー・ランプ.しかし,どんな豪華な贈物も,これの価値には遠く及ばない.貨幣的価値は皆無だが,多くの親は,逆にどんな高値でも譲り渡すこともないだろう.“クレド”の一つの形である.
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Title: ALL I REALLY NEED TO KNOW I LEARNED IN KINDERGARTEN
Author: Robert Fulghum
ISBN: 4309461484
© 1996 河出書房新社