▼『仏教抹殺』鵜飼秀徳

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

 明治百五十年でも語られない闇の部分,それが廃仏毀釈だ.神社と寺院を分離する政策が,なぜ史上稀な宗教攻撃,文化財破壊にエスカレートしたのか?日本各地に足を運び,埋もれた歴史を掘り起こす近代史ルポルタージュ――.

 使節団が欧米訪問した際,一行は各地で日本政府のキリスト教迫害について抗議を受けている.各国から「信教の自由の承認」を条約改正の前提条件として厳しく突きつけられ,帝国憲法第28条に信教の自由が規定された.王政復古・祭政一致を具体化させ,伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系の定着を狙いとする神仏分離廃仏毀釈は,平田派国学者の神官らが中心となって仏堂・仏像・仏具・経巻の破壊を推進した.岐阜県東白川村は明治初期,藩内寺院17寺が破壊され,1寺も復活していない.

 水戸藩薩摩藩,近江日吉山王社での神仏分離が過激なものとして行われ,隠岐のごときは全島の仏寺を破毀して1寺も残さなかった.三輪神宮寺の秘仏聖林寺十一面観音は,長いあいだ路傍に打ち捨てられていたが聖林寺の和尚が通りかかってその窮状を嘆き,かついで帰って自寺の本尊としたという.本書は,明治新政府によって1868年3月13日に発せられた神仏分離令に関して,拡大解釈した一部の民衆が薩摩,長州から宮崎,長野,岐阜,佐渡隠岐,伊勢,東京,京都,奈良と熱狂的な排斥運動を展開した"爪痕"を丹念に追う.

 大局的には「国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しようとする壮大な企図の一部」であった廃仏毀釈の影響はほぼ不可逆的といえるほど甚大であった.全国47都道府県における寺院数の平均は1,643であるが,高知は367,宮崎は345,鹿児島は488にとどまっている.薩摩では幕末から1876年にかけ1,066あった寺院をすべて破壊しただけでなく,2,964人の僧侶も全員還俗とした.没収した鐘楼や仏具は溶かされ,大砲などの武器の鋳造に利用された.

明治初期に実施された文部省調査によると,全国の約4割の小学校が寺院を利用したものであったという.近代教育の礎は,寺院の犠牲なくして成立し得なかったのである

 さらに第12代藩主島津忠義1862年琉球王国を支援する名目で,天保通宝の大量偽造の命令を出して偽金造りにも関わっていた.厚顔無恥の輩は,奈良の仏像を瓦解させその木片を焚き火の燃料にして奈良の鹿を屠り鹿鍋として食して憚らなかった.廃仏毀釈により破壊された国宝的文化財の数は,現在の国宝の約3倍にのぼると推計されている.国学者らによって提唱された復古神道イデオロギー的内実は,明治維新を賛美し教育勅語へと受け継がれた.王政復古,祭政一致を求める国家神道による近代国家を築き,軍需と帝国主義を高揚する土壌を整えたのである.

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原題:仏教抹殺―なぜ明治維新は寺院を破壊したのか

著者:鵜飼秀徳

ISBN: 978-4-16-661198-0

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