その日もいつもと同じ1日のはずだった.父の期待を一身に担う兄マーカスと,兄に脅える妹メロディ,マッチョを気取るスポーツマンのルーク,孤立するゲイのショーン,ルークとの結婚だけを切実に願うサラ,いじめられても卒業まで3ヶ月の我慢だと自分に言い聞かせるスティーヴン.心が壊れてしまいそうな秘密を抱え,誰もが窒息寸前だ.やがて,午後2時37分,校舎の片隅でひとつの若い命が消えようとしていた…. |
伝統的な社会病理の分野では,自殺を「逸脱行動」の種別でとらえてきた.その限界点は,モーレス(規範,習俗)では捕捉できない自殺者の心の淵を等閑に付していることにある.人生における若草の期間は短い.控えめに見積もっても,前半25年を過ぎれば「老い」が優勢に立ってくる.しかし経験の豊富さから,多事多難に聡明な判断を下すことが期待できる点こそ,年輪を重ねることの確かな希望になる.
10代の悩みは,結局10代にしか共感できない――傍目には「完璧」に思える家庭環境,成績,スポーツ競技,美貌,恋愛.その背後に潜む恐怖心や劣等感.同じ校舎に通う同年代者でも,個別の事情は常に主観的で唯一つのものとなる.7つの“サンプル”は,脆さと非特異性において古今に通じる事情ばかりである.友人を自殺で喪った後,自らも自殺を図った経験のあるムラーリ・K・タルリ(Murali K. Thalluri).タルリは,弱冠19歳で製作を開始している.
憎しみに満たされた世界では,私たちは希望を持たなければならない.絶望に満たされた世界では,私たちは夢を持たなければならない.そして,不信感に満たされた世界では,私たちは信念をもたなければならない
高校生の群像を描く本作の力点は,日常生活の中で生起した「予測困難」な「絶対的悲劇」.7人のうち6人は誰しも,自殺に追い込まれても不思議ではない背景が詳細に語られるが,残る一人はそうではない.自殺者の延々たる慟哭も,生への絶望の根拠といった説明能力は与えられておらず,社会病理が把握できる部分の理解にとどまる.世界に背を向ける者は誰かというミステリーの要素を超えて,狭いコミュニティで他者を――自発的な「死」で――喪った世界の住人が,心に咎を抱える主張が瑞々しく鮮烈である.
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原題: 2:37
監督: ムラーリ・K・タルリ
99分/オーストラリア/2006年
© 2006 2:37 PTY LTD.