イギリス北東部ニューカッスルで大工として働くダニエル・ブレイク.彼は突然,心臓病で働けなくなってしまう.医者から仕事を止められ,国からの援助を受けようとするも,理不尽で複雑に入り組んだ国の援助制度の前になす術がない.そんな中,偶然知り合ったシングルマザーのケイティとふたりの子どもたちと絆を深めていくダニエル.互いに助け合い,寄り添いながら希望を取り戻していくが,厳しい現実は容赦なく彼らに降りかかってくる…. |
半世紀にわたり,一貫してイギリスの労働問題と社会階級を描いてきたケン・ローチ(Ken Loach)会心の作品である.「左翼」とレッテルを貼られることに,ローチは怯まないどころか,迎え撃つ気概を隠さない.イギリスの障害者差別を背景に運用されている雇用支援金が,慎ましくも誇り高い人間の市民権を剥奪している.あるいは,国内移住によって就業の機会を失った家族が路頭に迷う.それらの姿からは,かつて福祉国家の青写真を世界に示して見せた文明国の矜持は歯痒いまでに感じられない.もはや弱体化した社会制度と,それに反比例する官僚主義の残忍性が映画で浮き彫りにされる.イギリス北部の工業都市を舞台に印象的なエピソードは,いずれも事実にもとづいており,強く記憶に残る.
徹底的に無駄を省きオンライン化された職業安定所の民間委託業務.心臓に爆弾を抱えた元大工ダニエル・ブレイクが「支援手当」を受けるためには,コンピューターで求職登録をしなければならないが,その作業自体,高齢の彼にはハードルが高すぎる.さらに,障害認定の基準緩和により――医者には就労を止めることを勧告されているにもかかわらず――,ブレイクは「就労可能」と認定され,求職活動を続けなければ手当が打ち切られる.そこで,「アリバイ求職活動」を余儀なくされるが,彼の腕を見込んで採用連絡をしてきた自営業者にはその行為を軽蔑される.一方,ふたりの子を育てる無職のシングルマザー,ケイトは困窮に耐えかね,福祉事業者のフードバンクで支援を受ける.何日も食事をとっていない彼女は,反射的にその場で餓鬼のように缶詰を貪り食う.我に返って涙ながらに謝罪を述べながらも,食べ物を口にするその手は休まない.
財政赤字削減を公約に掲げた保守党政権による,"片手に指が1本でもあれば就労可能"と揶揄されるほどの福祉制度改革を進めた結果,人間の尊厳さえ搾取され続けていることをローチは暴露するのである.職業安定所でブレイクが体調を崩し,ウォータークーラーの水を飲んでかろうじて意識を保つシーンがある.このクーラーも,2010年の歳出カットですでにこの場所から撤去されている.国民の扇動,教育,組織化.このうち,映画人として扇動を重視するローチは,ダニエル・ブレイクという男性の晩年を描くことで,イギリスを中心にEU全体の労働者へ団結し「怒り」を喚起させよと訴える.それは,市民が発する「政治的演説」が放つ政治インパクトへの期待である.ただし,2011年にコロンビア大学の社会学者サスキア・サッセン(Saskia Sassen)が分析する暴動要因――ロンドンやバーミンガム,リバプール,ブリストルで起きた暴動――を,それなりになぞった行動にブレイクは奔る.それは,「街頭での主張と抗議活動」「経済的損失(福祉給付の打ち切り)への抵抗」である.
ブレイクには,SNSやソーシャルメディアを使いこなすことはできない.つまり,ロンドンやバーミンガムで起きた暴動の扇動者には,デジタルディバイドで圧倒的不利な者は扇動能力を欠くということだ.本作には,この視点が決定的に欠けている.救貧法時代から続くスティグマ(福祉を受けることでの偏見と不利益)批判を現代に焼き直すことはできても,新自由主義的な経済思想へのクリーンヒットには遠い.むしろ,いつまでもその前近代的な主張をさせ続けているところに,保守勢力の狡猾さがあると見なければならないだろう.残念ながら,世代的にブレイクはその闘争を勝つことはできず,より若い世代のケイトも疲れ切って戦術を練る暇もない.その意味では,ブレイクの間借りするアパートの隣人は若い黒人男性で,ICTの技術を駆使して中国から日用品を不正に輸入販売している.しかも,世代の離れたブレイクのような男性とのコミュニケーションに抵抗がない.こういう人物の存在が,今後のキー層になりうることを示唆するものだ.
私は依頼人でも,顧客でも,ユーザーでもない.怠け者でも,たかり屋でも,物乞いでも,泥棒でもない.国民保険番号でもなく,エラー音でもない.きちんと税金を払ってきたそれを誇りに思っている.地位の高い人には媚びないが,隣人には手を貸す.施しは要らない.わたしはダニエル・ブレイク.人間だ,犬ではない.当たり前の権利を要求する.敬意ある態度というものを
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原題: I, DANIEL BLAKE
監督: ケン・ローチ
100分/イギリス=フランス=ベルギー/2016年
© 2016 Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute