▼『「自分の木」の下で』大江健三郎

「自分の木」の下で (朝日文庫)

 なぜ子供は学校に行かなくてはいけない?子供たちの素朴な疑問に,ノーベル賞作家はやさしく,深く,思い出もこめて答える.16のメッセージと32点のカラーイラストが美しくひびきあい,心にとどまる感動のエッセイ――.「子供も『難しい言葉』を自分のものにする」を新たに加えた待望の文庫版登場――.

 朴な疑問は,本質を糺す意義を含めていることが多い.本書の冒頭に掲げられたエッセイ「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」は,その典型のトピックとなる.公的教育がなされる学校という場で行われる,恣意的で欺瞞に満ちた知識の伝達.軍国主義と民主主義の衣更えを当然のように行う大人たち.混乱することさえ許されない“子供”にできることは,教育を受ける権利と義務を放棄することだ.一方では,学びたくとも学べずに死んでいく人々への敬意の観点から,生きるならば,学ばなければ不実となる.そう考えた大江健三郎の子ども時代.あるいは,知的障害を抱える長男がじっと教室で授業時間を耐え偲ぶ姿を見て,自身が子どもの頃に感じた疑念が甦ってくる.

 2つのエポックメイキングは,図らずも,知識や人間関係を学ぶ意味への「回答」の模索となっていた.社会へつながり,自分を理解する「言語」としての機会を提供する場が,ほかならぬ学校なのではないかと文は結ばれる.悩める子どもへの真摯なメッセージは,大人への猶予期間を生きる彼らへの慰め,鼓舞の両方がある.

人の魂は,その「自分の木」の根方から谷間に降りて来て人間としての身体に入る…中略…そして,森のなかに入って,たまたま「自分の木」の下に立っていると,年をとってしまった自分に会うことがある

 戦争を体験していない世代には,理解の及ばない内容も多い.しかし,信念に裏付けられる価値観の形成段階,そこでの自分を大切にしてほしいとする主張は,難解な文意の中でも明解である.子どもにとって取り返しのつかない事態とは,「殺人」「自殺」の2種類しかないと後半では強調される.すなわち,自己と他者へ向けられた「究まった暴力」である.それ以外であれば,すべての修復と回収は可能ということか.

 29ページにある挿絵(画:大江ゆかり)には,大木を挟むように出会った少年と老人が描かれている.「自分の木」の下では,過去と現在の偽らざる姿がさらされる.真実を背に,連綿と続く「存在」の連環論.大著ではないが,本書には大江健三郎永劫回帰ツァラトゥストラ”が仮託されている.

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原題: 「自分の木」の下で

著者: 大江健三郎

ISBN: 9784022643407

© 2005 朝日新聞社