▼『復讐する海』ナサニエル・フィルブリック

復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇

 捕鯨船エセックス号は怒ったマッコウクジラに沈没させられた.現実のエセックス号の悲劇は,この『白鯨』のクライマックスの後から始まる.捕鯨船から脱出したのは20人,そのうち,生き残ったのはわずかに8人だった.本書は,事件からおよそ180年後,犠牲者と同じナンタケット島に住む歴史家が綿密な調査で明らかにし,全世界を震撼させた問題の書である.全米図書賞受賞作品――.

 ールド・ダートマス歴史協会ニューベッドフォード捕鯨博物館には,《ラッセル・パリントン・パノラマ》という一連の絵があり,そこには捕鯨のプロセスが描かれている.17世紀なかば,ニュー・イングランド地方の入植者が開始した捕鯨は当初セミクジラが対象だったが,次第にマッコウクジラを捕獲する「アメリカ式捕鯨」が中心となる.石油とプラスチックが発見される以前の時代,鯨油は灯油や機械油として供給されるほか,潤滑油,ランプ燃料,乳化剤,洗剤の原料となった.鯨の髭は発条やコイルの主原料ともなり,鯨は1850年頃まで工業資源の中心だったのである.捕鯨の拠点は,アメリ東海岸ニューイングランド沖の小島ナンタケット島であった.

 ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)は,捕鯨船員であった青年時代,元1等航海士が書いた手記『捕鯨船エセックス号の驚くべき悲惨な難破の物語』を読んだ.128頁にのぼるその記録は,ナンタケット島初の捕鯨船エセックス号が1820年11月20日――ガラパゴス諸島の西約2800Km,赤道からわずか75Km南において――巨大なマッコウクジラに襲撃され沈没.93日間に及ぶ漂流生活により,乗組員20人中生存者は8人となった経緯が記されていた.ナンタケット島出身の捕鯨船員は,多くが敬虔なクエーカー教徒だった.厳格な克己心と純粋な使命感を抱く彼らが,南太平洋諸島の食人伝説に怯え,諸島を避け,はるか遠い南米大陸を目指した末に飢餓と脱水症状に苦しむ.捕鯨船に乗り込んだ平和主義のクエーカー教徒が,生存の究極の選択として「人肉食=タブー」を破るという皮肉.本書は,船員の宗教上のヒエラルキーを指摘する一方,漂流クルーのなかで黒人の者が真っ先に死亡し,「犠牲」となったことに関し,人種差別的な批判とはいえない観点も論じている.

 メルヴィルは元1等航海士の手記にある体験談を,白い巨鯨に片脚を食い切られた捕鯨船の船長エイハブの狂気,黙示録的暗喩に満ちた衒学然とした海洋文学『白鯨』に投映した.作中「断固たる復讐の意志と底知れぬ悪意が相貌にあらわれている」と表現された巨鯨とエイハブの死闘がそのクライマックスを構成している.だがエセックス号の実話は,マッコウクジラの襲撃以後の生存闘争が本質的主題となっていて暗鬱なのである.体長20メートルを超えるマッコウクジラは現在では目にすることがない.エセックス号を襲った雄のマッコウクジラは,26メートルを超えていたと生き残った船員らは語っている.これは誇張かもしれないが,巨体の雄が乱獲された1820年代以後,マッコウクジラは徐々に「ミニサイズ化」していったことを考えれば,エセックス号事件の時には,26メートル超の巨鯨が実在していたかもしれない.

 生き延びた乗組員のその後の生涯も,本書ではよくリサーチされ述べられている.事件当時28歳だった船長ジョージ・ポラード・Jr(George Pollard Jr.)は,その後も船長として航海にでるが,ハワイ沖で座礁してからは二度と船に乗ることはなかった.最後はナンタケット島の燈台守として生涯を終えている.エセックス号の悲劇を手記にまとめた(ゴーストライターの助けを借りたという)一等航海士オウエン・チェイス(Owen Chase)は,悪夢に終生悩まされ続け,発狂した晩年は自宅に食べ物を隠すようになった.頭痛を訴えすすり泣くことが多くなり,失意のうちに死去した.チェイスの息子も捕鯨船の乗組員となり,父の驚異の手記を携えていた.ある時捕鯨船に同乗した若者に,手記を読ませた.その若者こそ,ハーマン・メルヴィルであった.

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Title: IN THE HEART OF THE SEA

Author: Nathaniel Philbrick

ISBN: 408773403X

© 2003 集英社