▼『纏足』馮驥才

纏足―9センチの足の女の一生 (小学館文庫)

 舞台は清朝末期の天津.女性の足を小さくするために,幼いころから足の指を足底に折り曲げて,布できつく縛る風習・纏足をめぐる千奇百怪の物語が繰り広げられる.貧しい家の美少女が類まれな小足ゆえに,天津の名家に嫁ぐが,彼女を待っていたのは数奇な運命だった.纏足を愛し,翻弄される人間をおかしみのある文体でつづり,文化とは,人間とは何かを問いかける――.

 国が生んだ文化制度は,たとえば儒教,漢字,漢方,律令と実にさまざまな外来文化となって,日本に採り入れられてきた.ひときわ異彩を放つ制度が3つある.科挙,宦官,纏足だ.科挙は朝鮮・ベトナムでも行われ,今では韓国に象徴されるような受験地獄を彷彿とさせるし,宦官はオスマン=トルコでスルタンの閨番を命じられた奴隷と同様の機能をもっていた.しかし纏足だけは,どの国のいかなる時代にも見られないのである.

 この奇習は,幼女の足を緊縛して,趾骨と中足骨を力任せにへし折り,足の裏に固定するという非人道的な施術である.足の発育は止まり,三寸(9センチ)ほどで体重を支えなければならなくなる.また,不安定な歩行になるのだから,女性は遠出することはできない.なぜ,このような風習が宋代から清末期にいたるまで,数世紀にわたって中国女性を支配してきたのか.1942年の鳥山喜一『纒足』には,五代十国南唐の後主が宮嬪に帛をもって足をしばり,新月状にして金蓮台上で舞わせたのが始まりとされる説が紹介されている.これは纏足の起源を語る最も有名な伝説であるが,当時(10世紀頃)の宮廷内は,音楽と舞踏文化が非常に興隆していたことが背景にあることを見逃してはならない.

 中国が生んだ代表的な美人,趙飛燕(?-西元前1)と楊貴妃(719-756)は,ともに足が小さく,バレリーナのように華麗に舞ったという.中国の女性の美的観念が纏足という奇習を生むことに一役買ったのだとすれば,小さな足はそもそも踊り手の足の優美さを強調するために好まれたということになる.美人の条件は,足は1ミリでも小さく,なめらかな皮膚に覆われ,纏足が施された傷跡が目立たないものがよいとされていた.それが,歩行もままならない文化として後代の女性たちを苦しめることになるとは,皮肉なものである.

 束縛というものは2種類あると措定される.1つは単純に身体的な束縛,もう1つは心の束縛である.著者は,心の束縛は中国の古い文化に提示されていると考えた.どのような形で,中国人の心が束縛されているかを考えてみたとき,纏足がその最も根深い悲劇の過程を象徴しているように思えた.そこで,自国の民族とその歴史を冷徹に分析し,民族の運命を描いてみたい――これが本書執筆の根本姿勢となっている.

 儒教の教えで,女性の品行はかくあらねばならぬと説いた有名な本がある.婦道の範典とされる,班昭(40?-115?)の『女誡』である.貞節服従・誠実を女性に強いたものだったが,家庭婦人としての道を正面から取り上げ,女性の劣性と忍従を強調した書になっている.女が生まれると,三日目に,寝台の下の土間にころがして,瓦や石をつかませ,人にかしずいたり,苦労に耐えられるようにしたというからすさまじい.

 女の子が生まれ,3-4歳,遅くとも骨が硬くなる6歳までには纏足が施される.施術者は通常,母親もしくは他の婦人によって行われた.必要な道具は,足を緊縛する布,寝室ではく布靴,縫針と糸,小鋏などだった.纏足の時期が近づくと,女の子に外出を控えさせ,家に閉じこもらせて婦人たちが儀式の準備を進めた.纏足の実施には激痛が伴うため,女の子は止めるよう懇願するが,婦人たちは心を鬼にして女の子を押さえつけ,遂行したという.ユン・チアン『ワイルド・スワン』にも,幼い祖母が纏足された際,「こうしないと,お前がお嫁にいけなくなるからね」と曾祖母が断腸の思いでこれを成し遂げた記述がある.

 ところで,3歳を迎える頃には,男の子もまた違った儀式を強制されることになっていた.隋から清までおよそ1300年続き,中国の独裁強化をささえた科挙である.清朝でいえば,男子は満3歳から受験勉強を始めた.15歳頃までに儒教の経典計57万字を暗記し,4段階の予備試験をパスした者が倍率100の地方入試を受け,さらに倍率数千倍以上の会試,伝試をそれぞれ合格しなければならなかった.そこで晴れて進士に登第することを許されたのである.

 儒教の理想にかなう人物育成は,女性には纏足,男性には科挙と3歳からすでに差別化が始まっていた.儒教文化が家庭生活・母性・手工芸に最高の道徳的価値を置くなかで生きる女性にとっては,それらすべてを体現するのが纏足だった.女性は家に押し込められ,手工業に励み,家庭と共同体で権威を保ち,この奇妙な風習を,望むと望まざるとにかかわらず堅持することになったのである.纏足用の靴にはどれも,趣向を凝らした刺繍がデザインされている.

 本書が発表され,中国の文壇は大きなセンセーショナルに見舞われた.中国文化の醜い部分を暴露した悪書であると論が飛び,多くの批判を招くことになった.その批判の多くは,中華文化の暗部に閉ざされた文化的なルーツを探ろうという,本書の意図した根幹を見落としていた.

世界のどんな民族も,いかに偉大なる文化を創造しようとも,それにはプラスの面とマイナスの面が,あたかも紙の両面のように存在する.両者は一卵性双生児であり,たがいに依存するものである

 纏足が文化的に終止符を打たれたのは,形式的には1902年である.義和団の乱で改革を迫られた西太后(1835-1908)が,その1つとして纏足禁止令を出した.しかし,纏足が本当に下火になるまでには,ここからおよそ20年を要した.これにはいくつかの理由がある.

 纏足が性の対象となっていた風潮は,一朝一夕に改まるものではなかった.さらに,纏足靴の形状と構造をより華美にしてきた伝統とその蓄積は,1000年余の年月にある.それを払拭するには,相当の時間が必要だった.各地で纏足を解くことを呼びかける「天足会」の活動,国民党の北伐軍が封建思想の打倒を目指した布告等により,纏足を衰退に追いやっていったが,ここに19世紀の世界的な趨勢が加わった.中国の家族構造と性にまつわるナショナリズムを糾弾する流れが押し寄せ,纏足がその代表格にまつりあげられたわけである.纏足が世界的に注目を集めたのは,19世紀末から20世紀初頭にかけてである.この時期は纏足廃止論が盛んに叫ばれた時期でもあった.それとともに,この文化は音をたてて崩れつつあった.文化の変革の岐路に立たされた女性は,文化の自己批判の対象となっていった.これを著者は,「文化の悪しき根が現実社会で発作をおこす」と表現している.

 いま,異様なサイズの靴を見やるとき,それを強力に生み出した文化の力のスペクタクルを感じ取ることができるだろう.ここから,儒教的なジェンダー・バイアスがいかに矛盾した制度を作り上げたかも,うかがうことができる.時代の変遷に葬り去られた風習を材に,自己反省からの真実の姿を求め,そこからの向上を模索しようとする好著.

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Title: 三寸金蓮

Author: 馮驥才

ISBN: 409403241X

© 1999 小学館