▼『絹と武士』ハル・松方・ライシャワー

絹と武士

 侯爵松方正義と生糸貿易のパイオニア新井領一郎.二人の祖父の生涯を跡づけながら,日米交流のルーツを考察する興味深い家系史――.

 メリカン・スクールとプリンシピア大学で教育を受けた松方ハルは,エドウィン・O・ライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer)と結婚後,ライシャワーが駐日米国大使となった以後サンディエゴ大学カリフォルニア校にライシャワー記念講座を設立し,日本研究の公開講座を開いた.父方の祖父は明治の元勲松方正義,母方の祖父は,群馬県出身の絹貿易商として一代で財を築いた新井領一郎.本書は,日本が封建社会から近代国家へと変貌を遂げた時期,政財界へ多大な影響を与えたこの2人の生涯を中心とした家族史である.

 日本銀行を創設し,金本位制を実施して巨額の不換紙幣と国債を発行した松方財政なくして,生糸の対米輸出事業と富国強兵に要した外貨獲得を新井が実現することはできなかった.この2人は,明らかに「政治的指導力」と民間主導の「企業家精神」をそれぞれが手腕を振うことによって,この国が世界の列強と肩を並べるほどの国力を築く礎を提供した.色を好み子沢山の松方が,合計人数――正妻と妾の子が合わせて11男5女に及んだ――を明治天皇から尋ねられ,正確に答えられず狼狽した話は面白い.また,新井がアメリカに出発する前夜,吉田松陰の妹から松陰の形見の短刀「国富」を託された話も印象深い.

 「兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ,安らかに眠ることが出来る」と語った妹は,黒船密航に失敗した松陰の魂を新井に預け,うやうやしく刀を拝受した新井は,その心意気に信頼に値する人間とならんことを誓ったのである.本書は,当初の構想段階では,松方のみを取り上げる予定であったという.コネティカット州在住の伯父新井米男から送られてきた冊子「東の国から太平洋を越えて――一日本人の移民と同化の歴史的,社会的考察」を読むと,新井領一郎や同世代の日系人一世たちの苦闘と栄華の生涯がフィールドワーク的にまとめられていた.それに感激したハルに対し,父方と母方の両方の祖父の生涯を近代日本の変遷として,また日米関係論のひとつとするよう助言を与えたのが,夫ライシャワーであった.

 本書は,どこまでいっても「家族史」であり,子孫から見た家族愛や絆という枠を外れることはない.松方財政の招いたデフレ不況や治安悪化を批判する人は,松方ほど重大な仕事をしたことがないはずだと言ってのけ,GHQによる財閥解体や農地解放,公職追放によって松方家が不利な状況に追いやられた事実は認めても,それを深く掘り下げることを嫌っている.偉大な人物の血を引いた作家の随想録として扱うのが無難な本,ということになる.

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Title: SAMURAI AND SILK

Author: Haru Matsukata Reischauer

ISBN: 4163418504

© 1987 文藝春秋