▼『津山三十人殺し』筑波昭

津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇 (新潮文庫)

 その男は三十人を嬲り殺した.しかも一夜のうちに.昭和十三年春,岡山県内のある村を鮮血に染め「津山事件」.入念な取材と豊富な捜査資料をもとに再現される,戦慄の惨劇.不朽のノンフィクション――.

 中戦争勃発の年,岡山の山深い村で一夜にして30人を殺害した単独犯・都井睦雄の精神.それ自体が怪物に擬えられる暗黒大陸か.色白でふくよかな顔形,繊細な表情の青年が,凶行時には黒詰襟にブローニング9連発猟銃と日本刀,匕首武装,頭には懐中電灯2本という異形の出で立ちで闇を駆けた.事件の発生時刻は1938年5月13日午前1時40分頃~午前5時頃.被害現場見取り図からは,縦横に駆け巡る韋駄天のごとき速さで村人を血祭りに上げていったことがわかる.

 祖母から溺愛された少年は,成長後は「肺病への恐怖」に魘(うな)されて戦時下の徴兵検査においては最低の“丙種合格”.山村で繰り広げられる夜這い文化で性は放縦に発散され,生への執着は女性への異常な執拗さとなって逆に疎まれ,村八分に追い込まれている.そこでの懊悩は,村全体への憤怒となったであろうが,その境地に陥るまでの軌跡は,現存する資料から推測できる部分があまりに少ない.本書は,前半は事件後の内務省岡山県警・岡山裁判所等の報告書のまとめ,後半が都井の生育歴から犯行までの経緯という構成をとる.

 前半部の資料整理は行き届いていない.しかし事件当日の都井の足取りは克明で,酸鼻を極めた殺戮描写は圧巻.岡山地方裁判所検事・塩田末平は,都井が生来の変質者であったと見立て,結核から厭世心と劣等感が起き,希望のない人生を清算するために凶行に走ったと報告書で述べている.この程度の分析から穿った見解は,本書を含め目立ったものはない.むしろ長らく「単独犯による短時の大量殺戮」として世を震撼させた側面を強調し,横溝正史八つ墓村』などフィクションの創作が促された.事件の記憶は物語の形式を借りて,語り継がれる「神話」となったのである.

 本書で言及される言葉――実質,都井の遺言に近い――「阿部定は好き勝手なことをやって,日本中の話題になった.わしがどうせ肺病で死ぬなら,阿部定に負けんような,どえらいことをやって死にたいもんじゃ」.事件の2年前に「阿部定事件」は起きているとはいえ,大量殺人の犯行の決意表明としては巧すぎる.この部分は,事件研究所(2011)『津山事件の真実(津山三十人殺し)増補改訂版』では,本書の著者・筑波昭の創作あるいは捏造の疑いが濃厚だという.

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原題: 津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇

著者: 筑波昭

ISBN: 9784101218410

© 2005 新潮社