▼『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ

シッダルタ (岩波文庫)

 シッダルタは学問と修行を積み,聖賢になる道を順調に歩んでいた.だが,その心は一時として満たされることはなかった.やがて俗界にくだったシッダルタだったが….深いインド研究と詩的直観とが融合して生み出された"東洋の心"の結晶とも言うべき人生探求の物語.原文の格調高い調べを見事な日本語に移した達意の訳――.

 4歳のときにヘルマン・ヘッセ(Hermann Karl Hesse)は,セイロン島の最高峰ピドゥルタラーガラ山に登った.シンガポールスマトラ,セイロンなど東南アジア旅行の計画には,当然インド訪問も含まれていた.ところが,赤痢によってインドの土を踏むことはかなわなかったため,イギリス統治時代以前からの遺跡や仏教の寺院を抱きセイロンを眺望できる雄峰を登攀したのである.この経験は,西欧の精神の行き詰りを感じて, それを超克すべきオリエント精神への憧憬を高め,ヘッセはインドへの崇敬を新たにした.

 ヘッセによるシッダルタは家族,友人からの寵愛に満たされることなく俗界を離れ沙門の道に入る.厳しい修行を経て智慧(菩提)を完成した仏陀――目覚めた人――の悟りを崇敬しつつ,その教えが完全無欠でないことに失望したシッダルタは,仏陀の平安の微笑みに真理の会得は期待できないと理解した.そこで仏門から身を離し遊女カマラとの性愛に浸り商人として成功を得る.だが金銭や一切の快楽は空虚を生むに過ぎず,遊女との間に生まれた息子はシッダルタの教えにことごとく反発し出奔した.それはかつての彼そのままの姿であった.

いっさいは意味と幸福と美しさを偽装していた.いっさいは隠れた腐敗であった.世界はにがい味がした.人生は苦悩であった

 すべての事柄に倦んだシッダルタは河に身投げしようとした瞬間,突如として神の聖語「オーム」が彼をとらえ,流転不易の水の流れに意識の最も内奥にある個の根源(アートマン)の目覚めの端緒を得る.シッダルタは河の渡し守となって真我の道に入った.河の声を聴くことが可能となり人に乞われるようになった彼は,平安の微笑みをもって,いつしか罪業も恩寵も時空間も生と死も煩悩もあらゆる包摂であり〈梵〉であると説く聖人となっていた.

 少年時代から精神的苦悩と神経衰弱に苦しむヘッセは,42歳で本書の執筆を開始した.精神と自然の対立に悩む自己の内面,そこからの解脱は禁欲と思索によってなしうるかという厳しい自己洞察は,出家以前の仏陀と同名のバラモン出身者シッダルタの人生遍歴に仮託される.副題「あるインドの詩」は,フーゴ・バル(Hugo Ball)によれば,インドの修行僧が儀式の際に同じ文句を3度ずつ唱えながら足踏みの調子を整えるリフレクションに由来するという.訳者の手塚富雄は,本書を1941年に初訳,1952年に再訳した.再訳の期間中,ヘッセ本人から受取った原本には「輪廻といい涅槃というも言葉に過ぎない,ゴヴィンダよ」と扉に記されていた.

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Title: SIDDHARTHA

Author: Hermann Hesse

ISBN: 978-4-00-324356-5

© 2011 岩波書店