■「おつむてんてんクリニック」フランク・オズ

おつむてんてんクリニック [DVD]

 外へ出るのも何をするのも恐いボブ・フィリーはありとあらゆる恐怖症のかたまりだ.精神科医を転々とする彼の新しい主治医はレオ・マービンだ.いかにも思慮深そうな紳士といった感じの彼の頭にあるのは新著『ベイビー・ウォーク』の評判と明日からの家族と一緒に過ごす休暇のことだけだ.TV番組のクルーがその期間中に著書の取材にくるのだ.ボブと初めて会ったレオはあまりにトンチンカンな症状に呆れるが….

 013年に第5版が発表されたDSM精神障害の診断と統計の手引き)は,1980年発表のDSM-IIIで革新的とされた「多軸評定」をどう発展させるかが焦点となった.病因論よりも客観的・多面的に疾患を捉える多元の評価軸は,人格障害および知的障害を除く14個の障害概念を整理する第一軸,パーソナリティと知能面に着目した第二軸,身体疾患の第三軸,環境的障害の第四軸,全体的機能評定の第五軸で構成される.多軸評定により分類可能となった障害あるいは症候群は,かつての精神論まがいのテーゼを排除したものと見なされてきた.しかし,よくできたマニュアルの陥穽とは,コモディティ化を招くことにある.

 疫学調査境界性人格障害(BP)は,人口の1~2%程度に存在するという.DSM-IV-TRの基準でいえば,「見捨てられ不安」「理想化とこき下ろしに特徴づけられる不安定な対人関係」「同一性の障害」「衝動性」「自殺企図」「感情不安定」「慢性的な空虚感」「怒りの制御の困難」「一過性の妄想様観念/解離」のうち,5項目にあてはまる必要がある.精神科医レオの前に現れた患者ボブは,見たところBPの条件を満たしている.少なくとも,そう見えるように描かれている.ボブは気に入った相手を見つけると,過剰な「理想」に対人関係を当てはめ,意にそぐわぬ面を見つけるや否や,失望からの「こき下ろし」また「見捨てられ不安」で自傷反社会的行動をとり始める.

 レオにボブをリファーしてきた精神科医が,解放感から有頂天になる場面が冒頭に登場する.迂闊にもレオはその意味するところに気づかない点が,コメディにして悪夢の始まり.新著『ベイビー・ウォーク』に述べられたセルフ・コントロール技法は,BP患者のケース事例が集約されて編み出されたものではない.つまりレオは,BP患者の「対処法」を知らず,精神科医として豊富なキャリアを持っていないか,熟練だとしてもボブのハイパー・アクションに屈服させられたことを意味する.おそらく前者だろうが,いずれにしてもレオを絡め取るシチュエーションに大差ない.精神保健に縁ある人は,笑うに笑えないドタバタ劇だ.

 患者のストーキング行為で神経を磨耗し,正気を失っていく医師.事情を知らぬ第三者には,レオの方こそ精神異常をきたしたように見える.本作の救いは,ボブに悪意と呼べるものがまったくなく,レオの当惑と混乱も可愛げをもたせていることにある.精神障害者関係団体からのクレームが寄せられても不思議ではない邦題は,「罪のない作風だから許してよ」と言わんばかり.確かに,描き方次第でボブはハンニバル・レクター,バッファロウ・ビル,ジョン・ドゥらに接近させることができる.スラッシャー映画との微妙な距離を感じさせるコメディ映画と素直に受け取りたいものだ.

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原題: WHAT ABOUT BOB?

監督: フランク・オズ

99分/アメリカ/1991年

© 1991 Touchstone Pictures