売れないコメディアンのアーサー・フレックが暴漢に遭遇したのは,ゴッサムシティの街を道化姿でさまよっていたときだった.社会から見捨てられたフレックは徐々に狂気への坂を転落してゆき,やがてジョーカーという名のカリスマ的な犯罪者へと変貌を遂げる…. |
アメリカ発祥のポップカルチャーに深く浸透した"ヴィラン"のオリジン・ストーリーの意味合いを,遥かに超える普遍性をもつ作品である.卑屈ながらも繊細であった最底辺コメディアンが,己の現在・過去・未来におけるすべてを倦んで小市民的良心を放擲したとき,ゲイリー・グリッター(Gary Glitter)の扇情的なグラムロックにあわせ,不器用な狂気の舞をみせる.
本作は,ホワイト・プアの反社会的な復讐を正当化する左派カルチャーの落し子に見える.しかし,監督トッド・フィリップス(Todd Phillips)は「映画は社会を写し出す鏡にはなるが,社会を形作るものではない」と異を唱え,等身大に見紛うように"ジョーカー"を体現したホアキン・フェニックス(Joaquin Rafael Phoenix)も「道徳について説教するのは映画人の役割ではないように思う」とコメントしている.しかし現実には,「ダークナイト」(2008)「ダークナイト ライジング」(2012)そして,本作の〈悪〉を模倣しそれを公言して憚らない凶悪犯罪者が社会に散在し恐怖の渦を引き起こしている.
過去の名作――「タクシードライバー」(1976),「キング・オブ・コメディ」(1982)――へのオマージュは見てとれる映画だが,卑屈な中年男アーサーは喜劇王チャールズ・チャップリン(Charles Spencer Chaplin)の名言「人生は近くで見ると悲劇だが,遠くから見れば喜劇」を滑稽で済ますことができなくなる次元に"脱皮"していく.そのエピソードとプロットが絶望という以外にないのである.救いのない物語の主人公に対する共感は,孤独で陰惨への憐憫,蔑視,嫌悪感をナラティヴ的に醸成させる.その一方,本作はどこまでが現実で,どこからがアーサーの脳内で起きていることなのか判別できない構成をとっている.
「代理的な側面」と呼ばれる衝動的な強迫観念が社会のどの層に受け容れられ,鬱積したルサンチマンに点火・炎上させアイコン化されるかが本質であるから,作り手や登場人物の意図や合理性は作品の放射するメッセージ性と不整合になりうるし,時には矛盾することもある.美意識とはかけ離れたメランコリックな衝動性が,ゴッサムシティを覆う前奏曲となってジョーカーの高笑いが木霊する.それらは虚構であるはずなのに,現実社会を逆照射して負の連鎖をもたらしているように見え,〈悪〉の再生産を際限なく繰り返す現実社会は,救世主を待つゴッサムシティよりも混迷を極めつつある.
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原題: JOKER
監督: トッド・フィリップス
122分/アメリカ/2019年
© 2019 Warner Bros.