神格化されたリンカーンではなくて,身近な人間としてのリンカーンが,本書には脈々と力強く描かれているといってよい.それだけに,本書を読まれた方は,“人間としてのリンカーン”に,今まではもちえなかった親近感をいだかれることであろう――. |
1980年2月「ウォールストリート・ジャーナル」に掲載された公共広告には,小学校に9カ月しか通えず,雑貨店を経営したが倒産し,借金を返すために17年の月日を費やし,州議会議員に落選し,上院議員選挙にも落選し,副大統領選挙でも落選した男が紹介されていた.彼は,1861年に第16代アメリカ合衆国大統領に就任したエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)であった."自己啓発書の元祖"と称されるデール・カーネギー(Dale Breckenridge Carnegie)の著作は,ビジネスパーソンを鼓舞するものが多い.本書は,偉人リンカーンの私的側面に焦点をあて,いわゆるヒューマニストとしてのリンカーンの形成過程を記している.
1819年 9才:母親が死亡
1832年 22才:事業に失敗
1833年 23才:州議会議員選挙落選
1834年 24才:再度事業に失敗
1836年 26才:婚約者が死亡
1837年 27才:ノイローゼになる(生涯を通じて苦しむ)
1838年 28才:州議会議長選挙落選
1841年 31才:大統領選挙選落選
1844年 34才:連邦下院議員選挙落選
1849年 39才:連邦下院議員再選挙落選
1850年 40才:国有地管理局長落選
1850年 40才:次男(3歳)死亡
1855年 45才:連邦上議員選挙落選
1857年 47才:副大統領選挙落選
1859年 49才:上議員選挙に再度落選
1861年 51才:第16代合衆国大統領に選出
1862年 52才:三男(11歳)死亡
1865年 55才:ジョン・ウィルクス・ブースにより暗殺
生涯の頭痛の元となる悪妻メアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln)の異常性,幼い愛息らの夭折,北軍入隊を志願する長男との確執――舟乗り,雑貨商,郵便局長,測量技師などブルーカラーの転職を繰り返しながら,独学で弁護士資格を取得し開業後,大統領はおろか政治家に至るまでの,舐めさせられた辛酸の一つひとつが,リンカーンの精神に打撃を加えている.
カーネギーは,神格化されたリンカーンではなくて,「身近な人間」としてのリンカーンを強調している.1863年に奴隷解放宣言を発布,憲法修正第13条実現のためにあらゆる手段を講じ,奴隷解放宣言を合衆国の歴史に刻んだ大統領リンカーンは,だが常に深い悲しみと憂鬱にさいなまれながら,それらに取り組んだのである.彼が立たされていた絶望の淵を垣間見るならば,身近な人間と理解するのは躊躇すべきかもしれない.
テンプル大学図書館には,アフロ・アメリカンコレクションがあり,そこには特別な装丁を施された本書が保管されている.残念なことに,その仕様は,アフリカ系アメリカ人の人皮装丁であるという.南部諸州の奴隷解放を宣言した後,リンカーンは寛大な措置による南部の早期連邦復帰を計画していた.遠からず政界から引退し,余生は心身を休めて穏やかに暮らしたい,とささやかに望んでいたが,その矢先,フォード劇場で観劇中に,狂信的な南部同調者でシェークスピア役者のジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)の凶弾に斃れた.後頭部を狙撃されながら即死とならず,長時間苦しみ,昏睡状態のまま死亡したのは翌日であった.
本書の補章で述べられるように,死後にはその遺体を偽造団"ビッグ・ジム"に狙われ,墓場荒しに遭っている.幸い未遂に終わったが,17回も遺体は場所を移され,死後36年が経過した1901年9月26日,スプリングフィールドの墓地地下6フィートの深さに設けられたコンクリート空間に納められた.この時,棺を開いてリンカーンを最後に目撃した人々がいる.強力な防腐剤により,暗さを増した顔は生前とあまり変わらないように見え,黒いネクタイの端にはわずかにカビが生えていたという.
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Title: LINCOLN THE UNKNOWN
Author: Dale Carnegie
ISBN: -
© 1969 ダイヤモンド社