▼『動物の第六感』モーリス・バートン

動物の第六感

 カール・フォン・フリッシュ,グリフィン,ガランボスらの発見や研究を紹介して,コウモリによる超音波の利用,ある種の魚による電気感覚の利用など,動物たちの“超能力”の世界にいざなう.その驚きにみちた多様性は,われわれ人間の“五感”によって限定された自然への認識を新たにする――.

 元前373年,ギリシアの都市ヘリスが大地震で水没した記録が残っている.ほぼ全ての住民が没したこの地震の前触れとして,ギリシアの軍事専門家アリアヌス(Alianus)は記している.

市内のネズミ・テン・蛇・ムカデや黄金虫が一斉に巣を捨て,必死に町から逃れようと,大通りをまっすぐ南に下っていった *1

 動物たちが一斉に街を離れたのは地震の数日前であったといい,中国では「地震の前に動物の予兆がある.牛,羊,騾馬は囲いに入らず,豚は餌を食べず,犬は吠え続ける」という歌を子どもたちに教え伝えているという.第六感は,超常的な能力として発現する何らかの感覚であるとされることが多い.それを司る感覚器は明らかにされていないが,通常の感覚ではないセンシティブなものとして扱われてきた.五感は視覚(網膜),聴覚(内耳),嗅覚(嗅上皮),味覚(舌),触覚(皮膚)でそれぞれの器官に受容されることで生まれる感覚だ.第六感には明確な受容器官はない.本書は,一般に第六感が発達しているとされる動物たちの感覚は,いわゆる神秘的な感覚というよりは人間よりも遥かに鋭敏な感覚器によって行われていることを豊富な事例で紹介する.そこには,人間の一般常識では説明不可能とされる行動の必然性が眺望されている.

 哺乳類に限った話でいうと,霊長類・一部のコウモリ類・クジラ以外の哺乳類には「六番目の感覚」として存在している器官がある.それは「鋤鼻器(Vomeronasal Organ;VNO)」と呼ばれ,生物群により鼻腔内や口蓋など開口位置は異なるが,おおむね嗅上皮から独立した袋状で,その組織構造は嗅上皮によく似ている.この器官はいわゆる化学物質フェロモンを受容する器官であり,視床下部とつながり,大脳皮質とつながっていないことから,無意識的に自律神経に影響を及ぼしていると考えられている.鋤鼻器はフェロモン情報を処理し,求愛行動,テリトリー確保,子育てなど生殖と社会行動の様式に関与するであろうことが次第に解明されてきた.ライアル・ワトソン(Lyall Watson)はこの鋤鼻器の役割について,著書『匂いの記憶』で第六感を司る器官である可能性を示唆している.

このシステムこそが,ほんものの「第六感」を作動させるメカニズムである可能性がある.私たちが時折,伝統的な五感では通常とらえられないはずの情報を受け取ったりする,いわば超自然的な能力を発揮するのは,このシステムのおかげなのかもしれない,ということだ *2

 自律神経に働きかける感覚系であることから,鋤鼻器で処理される感覚がいまのところ「第六感に最も近い感覚」と考えられている.しかし,霊長類の鋤鼻器は出生後に情報を脳に送る投射が消失してしまうため,ヒトはこの情報処理機構をもたない.動物たちが災害を予期したかのような行動をとることは,彼らが人間の感覚の感度範囲を超える感覚器官をもっていることの証明である.

 2004年のスマトラ沖地震に関し,スリランカ南東部ヤラ国立公園で観測された現象は興味深いニュースとして各国に紹介された.国立公園にはヒョウや数百頭の野生のゾウが生息しているが,地震で国立公園は洪水状態になったにもかかわらず,野生動物の死骸がほとんど発見されなかった.さらに,タイ南部カオラックにある海岸にいたゾウ8頭は,突然騒ぎ出し,近くの丘に向け鎖を引きちぎって疾走した.その一時間後,同ビーチに津波が押し寄せ,滞在していた観光客3,800人が波に飲み込まれた.これら動物の異常行動について,動物行動学の専門家たちは動物の「天災を予知する能力」の存在を示唆しているものの,その証明はなされていない.

 著者モーリス・バートン(Maurice Burton)は,動物学者として長年ケンジントン大英博物館自然史館に勤めた.次男とは共編で『動物生活の百科事典』をまとめ,娘は動物写真家,長男はグラスゴー大学で生理学の教員をするという「動物一家」である.動物のすぐれた感覚の例はいとまがないくらいだが,いくつかの例をみてみよう.以下は本書で紹介されているものもあれば,そうでないものもある.

【視覚に頼らないハンティング】

 メンフクロウが完全な暗闇でもおそるべき正確さで獲物をとらえることができるのは,高性能な聴覚による.大きい鼓膜で広面積を使って音波を受け入れることで,ほかの鳥が捕捉できない周波数をもとらえることができるためである.あるいは,コウモリが真っ暗やみの洞窟で衝突を避け飛行できるのは,毎秒20から100キロサイクルの超音波を咽頭部で発生しエコーの像を把握する.つまり,このエコーロケーション(こだま定位)が反射する音波を形成し,獲物となる昆虫の大きさと距離を知る.ところが,コウモリに捕食される蛾には,カチカチという音を発する種類がある.その音を出す理由はこれまで不明だったが,この蛾たちはコウモリの出す超音波を聴き取る能力があることが分かった.後脚とそこにある摩擦片を擦り合わせ,超音波を含んだカチカチ音を毎秒1000回以上も出す理由とは何か.

ドロシー・C・ダニングはコウモリを多少飼いならして,機械を使って空中にほうり投げたミールワーム(小鳥などの餌にする幼虫)をつかまえるように訓練した.コウモリがこれに慣れたとき,こんどは虫をほうり上げるのと同時にガが出すカチカチ音のテープ録音を聞かせてみた.すると虫をつかまえようとして急降下してきたコウモリは,その音を聞くと向きを変えて飛び去ったのである.後になって,これらのガはコウモリにとってひどくまずい味がするものであることが分かった

 奇妙な音を出すことによって,捕食を避けようとする蛾の知恵だったのである.コウモリの超音波を利用して超音波を含んだ音で警告を与える.警戒色を発色することでやはり捕食を免れようとする昆虫と同じく,弱肉強食の自然界をいかに生き残るかの知恵比べが動物の行動を競い合わせている.

二酸化炭素や温度の検知】

 蚊の頭部には二酸化炭素を感じる「毛状感覚子」という感覚器が備わっている.数百メートル離れた先から人間や動物の吐き出す炭酸ガス二酸化炭素),そして体温を感知して標的に近づくという,恐るべき性能のセンサーである.哺乳類の体温から発する熱を感知する能力は,1.2cmの距離で100分の15度の温度差も感じるほど感受性が高い.ちなみに,最も蚊に刺されやすいのは血液型O型であるという.これには理由がある.赤血球にある血液型物質・フコース(Fuc)がO型はもっとも外側にある.フコースは唾液・涙・尿・髪のほか分泌される汗にも含まれ,花の糖分に似た構造の糖物質のため,蚊が好んで接近してくるのである.なおO型以外の型の血液型物質は,A型はGalNac(N-アセチルガラクトサミン),AB型はGalNac(N-アセチルガラクトサミン)&Gal(ガラクトース),B型はGal(ガラクトース)で,蚊に刺されにくいのはガラクトース,すなわちB型だという.

 ガラガラヘビは,口のすぐ上にある赤外線感熱器官(ピット器官)で獲物の体温を感じ取る.ピットは小さな孔だが,これをふさぐとガラガラヘビは捕獲能力をたちまち失う.視覚も嗅覚も無関係に狩りをするこのヘビは,熱感受性細胞が15万個も並ぶ感熱器官により,空気とわずか0.2から0.3度違う体温差を感じ取る.ある軍需メーカーの技術者は,ガラガラヘビのピット器官に着想を得て,敵機のモーター熱を感知するセンサーを搭載した対空ミサイルを開発した.そのミサイルは,ガラガラヘビの一種「ヨコバイガラガラヘビ」の別名をとって「サイドワインダー」と名付けられ,世界で最初に実用化された赤外線誘導の短距離空対空ミサイルとなった.

 人間から見ると不思議な行動をとる動物たちだが,それは人間の感覚に照らし合わせて理解しがたいということに過ぎない.生物は生存競争の過程で五感を発達させてきた.食料を確保し,天敵をいかに欺き,毒素を除去して生活環境を獲得するか.その死闘の連続が生物の多様性をもたらしてきた.たとえば,人間の鼻にある嗅上皮は切手1枚分ほどの面積で500万個の感覚細胞しかないが,中型犬の嗅上皮は切手50枚分,2億2000万個の感覚細胞がある.このため,犬の嗅覚は他の追随を許さぬセンサーとして彼らを守る器官となっている.

 感覚の研究は,生命現象の多様な側面を発見することで,人間の五感をはるかに凌ぐ鋭敏な感覚をもった動物の認識する世界の奥深さや特殊性を示してくれる.同時に,彼らの危険を検知するような能力は超能力としての「第六感」と片付ける類のものではなく,生存競争の賜物として各種の動物たちが獲得してきた「特技」として解釈することが自然なように思われる.それは,人間がなし得ない界域で研鑽を続け昇華させた「武装」なのである.その意味で,本書のタイトルは感覚を受容する6番目の器官の存在を問題にする以前の立場を取る.問題は,6番目の感覚ではなく,いくつの感覚を磨きあげた動物が,いかに生活体系を作ってきたかということなのである.

ことによると第六の感覚が存在するのではなかろうかという潜在的な疑念は,それがどのようなものであるか誰にもよく分からなかったにせよ,常に存在していた.この第六感とは,常にばく然としていて定義し難く,むしろ,五つの基本感覚と結びつけることができないコミュニケーションの手段をあらわす言葉となっていた.現在では第六感が存在するか否かは問題ではない

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Title: THE SIXTH SENSE OF ANIMALS

Author: Maurice Burton

ISBN: 4588762087

© 2006 法政大学出版局

*1 http://www.long-net.com/topics/article.php?uri=27181726

*2 ライアル・ワトソン(2000)『匂いの記憶』旦敬介訳,光文社,p.12