▼『不思議な少年』マーク・トウェイン

不思議な少年 (岩波文庫)

 16世紀のオーストリアの小村に,ある日忽然と美少年が現われた.名をサタンといった.村の3人の少年は,彼の巧みな語り口にのせられて不思議な世界へ入りこむ…アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれる作者が,人間不信とペシミズムに陥りながらも,それをのりこえようと苦闘した晩年の傑作――.

 876年に出版された『トム・ソーヤーの冒険』の成功で財をなしたマーク・トウェイン(Mark Twain)は,浪費と無謀な投資により破産し,世界講演や新たな印税で資力を回復させた.しかし,私生活では五男一女を全員亡くし,自分に関する虚偽死亡説も流された.このとき,トウェインは自分の死亡説に対して「誇張である」と抗議したが「虚偽」とは言っていない.アメリカ合衆国によるフィリピン併合に反対するアメリ反帝国主義連盟に加盟し,帝国主義により共和主義が破壊されることを憂えた.

なんて馬鹿なんだね,君は!間抜けにもほどがあるぜ.正気で,しかも幸福だなんてことが,絶対にありえないってことぐらい,君にもわからないのかねえ?正気の人間で幸福だなんてことはありえないんだよ.つまり,正気の人間にとっちゃ,当然人生は現実なんだ.現実である以上,どんなに恐ろしいものであるかはいやでもわかる.狂人だけが幸福になれる

 少年の冒険譚で明るい楽天主義を築いた土着派トウェインの姿は晩年には影を潜め,世界は不合理で人生は苦痛,そこからの解脱は,快楽追求のむなしさを悟るしかない盲目的意志(ショーペンハウアー)に共感を寄せる.さらに妻の死後,トゥエインは「イヴの日記」を著した.イヴに先立たれ,長い年月を孤独に過ごしたアダムの侘しさ.この世は悪が支配していて,生きる限り人はこれを根絶できない――16世紀オーストリアの村を舞台に,サタンの甥を名乗る美少年「サタン」が引き起こす数々の奇蹟はおぞましい.しかし,誰も目を背けることができない.

人間ってやつは,ただくだらないけちな感情と,これも愚劣でけちな虚栄心と生意気さと野心とを持ってる,ただそれだけなんだ.笑って,溜息をついて,そして死んで消えちまう,馬鹿げた,くだらない一生にしかすぎないんだからね

 人間は無限の欲望により他者を平気で裏切り,拷問し,搾取を繰り返すだけの存在に過ぎないとサタンは説く.さらにいう.狂人でなければ幸福を得ることもできない憐れむべき人間にも「笑い」という唯一の武器があり,権力,金銭,説得,哀願,迫害といったものにいくらかずつでも抵抗できるのはその武器しかないと.トウェインは,日刊紙「サンフランシスコ・エグザミナー」で執筆陣を占めた一人だった.その中にはアンブローズ・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce)がいて諷刺でビターな毒を吐き続けていた.同時代のアメリカ論壇の冷笑家としては,トウェインとビアスは双璧をなしていたが,互いをどう評価していたかは不明.

ぼくが君に見せてあげたもの,あれはみんな本当なんだ.神もなければ,宇宙もない.人類もなければ,この地上の生活もない.天国もない.地獄もない.みんな夢――それも奇怪きわまる馬鹿げた夢ばかりなんだ.存在するのはただ君ひとりだけ.しかも,その君というのが,ただ,一片の思惟,そして,これまた根なし草のようなはかない思惟,空しい永遠の中をただひとり永劫にさまよい歩く流浪の思惟にすぎないんだよ

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Title: THE MYSTERIOUS STRANGER

Author: Mark Twain

ISBN: 4003231112

© 1999 岩波書店