▼『王子と乞食』マーク・トウェーン

王子と乞食 (岩波文庫 赤 311-2)

 うりふたつの顔だちをした王子と乞食トムが,ふとしたことで入れ替わり,ボロ服で街へ放り出された王子は苛酷な国法に悩む庶民生活の貧しさを身をもって体験する.エリザベス一世時代のイギリスを舞台に,人間は外見さえ同じなら中身が変わっても立派に通用するという痛烈な風刺とユーモアに満ちたマーク・トウェーン(1835-1910)の傑作――.

 ューダー朝第2代イングランドヘンリー8世(Henry VIII)は,利己的で無慈悲な反面,カリスマ性をもち絶対王政を確立し宗教改革を断行した君主だった.男子後継者はエドワード6世(Edward VI)だけだったが,9歳で即位後わずか16歳で早世した.摂政に操られながら短い在位期間,2度にわたる礼拝統一法の制定や共通祈祷書の発布により,イングランド国教会の脱カトリックがすすめられている.不幸なエドワード6世をモデルに,マーク・トウェイン(Mark Twain)は魅力的な寓話として本書を仕上げている.

 同じ生年月日でよく似た背格好の「乞食少年」「皇太子」それぞれの身分とライフスタイルの交換.その後に待ち受ける苦難を乗り越える両者の痛快な冒険譚は,明治から昭和期にかけ,トウェイン作品のなかでもっとも大衆に好まれたという.だがその本質は,悪名高き旧救貧法――1531年法を含む貧民救済策――の痛烈な批判にある."乞食"とは,当時のロンドン市民にポーパー(pauper)と蔑視されていた極貧層である.乞食のトムが住む家は,オファルコートというエリアに所在していた.ロンドン橋からそう遠くない木造のみすぼらしい家屋,所有者の好みで赤や青や黒に塗られた梁が十字に交差し,その間に石膏で固められた骨格があった.

十六世紀もそろそろなかば過ぎようというころのある秋の日,ロンドンに住むカンティという貧乏人の家に,男の子がひとり生れた.それと同じ日に,同じロンドンの市中の,チュードルの宮殿で,待ちに待たれた男の子がうぶ声をあげた.この男の子は,チュードルの一家一族はもちろんのこと,イギリス全土の国民,イギリス人というイギリス人が待ちこがれ,この子に希望をかけ,この子のために朝晩いのり続けたのだから,いま,いよいよ生れたという知らせを聞いて,国中の熱狂はちょう点にのぼった.特別にしたしい交際をしていない者たちまで,だきついたり,キッスしたり,うれし涙を流しあった

 窓は小さく,小さな菱形のガラスでできていて,ドアのように蝶番で外側に開くようになっていた.オファルコート全体の貧困者の家というのは,同じような構造で密集していた.こうした"レ・ミゼラブル"な人々を,アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall)が目撃し,ヘンリー・メイヒュー(Henry Mayhew)がすでにロンドン貧民階級の非人間的な救済と政治として論じていた.乞食に身をやつして宮殿を追放された皇太子エドワードは,ヘンリー8世宗教改革で大修道院から追われて気のふれた老修道士に殺されそうになったりするが,気のいい没落貴族マイルズ・ヘンドンの助けを得て王宮に無事帰還を果たすのである.

 エドワードはヘンリー8世崩御を受け,国王に即位後は悪法を廃止するなど仁政をとった.乞食としてロンドン市街を徘徊した体験から,残酷な当時の世にあって,めずらしく慈悲の心をもった君主となる大団円として描かれた.19世紀リアリズム文学から文学キャリアを開始したトウェインは後年,日刊紙「サンフランシスコ・エグザミナー」で執筆陣に加わった.アンブローズ・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce)と並び同時代のアメリカ論壇の冷笑家となったわけだが,1876年に出版された『トム・ソーヤーの冒険』や本書の執筆当時,まだ楽天主義を残していたのである.

さて,悲しいことに,エドワード六世は実に短命であった.しかしその短い年月は,まことに生きがいのある生涯で,彼の重臣は一度のみならずいく度も,あまりに寛大な王の性情に反対し,王が修正を加えようとされる法律は,もとのままでも決してひどいものではなく,なにも大した苦痛を人民に感じさせるものではないと論じたことがあったが,その度ごとにわかい国王は,愛情にみちあふれた大きな目に,強いうれいをふくませて,その重臣を見ながら答えるのであった.「そちが苦痛や迫害についてなにを知ろうぞ?余と余の民は知っている.そちは知らぬ」

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Title: THE PRINCE AND THE PAUPER

Author: Mark Twain

ISBN: 4003231120

© 1934 岩波書店