▼『侍』遠藤周作

侍 (新潮文庫)

 藩主の命によりローマ法王への親書を携えて,「侍」は海を渡った.野心的な宣教師ベラスコを案内人に,メキシコ,スペインと苦難の旅は続き,ローマでは,お役目達成のために受洗を迫られる.七年に及ぶ旅の果て,キリシタン禁制,鎖国となった故国へもどった「侍」を待っていたものは.政治の渦に巻きこまれ,歴史の闇に消えていった男の"生"を通して,人生と信仰の意味を問う――.

 ヶ原の戦い以後,仙台城を築いた伊達政宗は,海外交易に視野を広げた.スペインおよびローマと通商を開く主命を拝した支倉常長は,エスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を正使に自分は副使となり,遣欧使節としてサン・フアン・バウティスタ号に乗り込み,太平洋を渡りメキシコ経由でスペインに到着.1615年に国王フェリペ3世(Felipe III),ローマ教皇パウルス5世(Paulus V)に拝謁を許されるが,日本との通商は,イエズス会宣教師らの抵抗により合意に至らない.1620年8月に支倉が帰国すると,禁教令,切支丹禁止と鎖国政策の徹底が国内でなされていた.自分の使命が空中分解していたことを支倉は知った.

 マドリードで洗礼を受けていた支倉の存在は,公式の記録から抹消された.維新後,岩倉具視が欧米視察でイタリアに派遣され支倉の署名入り文書を発見するまで,日本史の鬼子とされていたのである.伊達の主命によるキリスト教の帰依と,帰国後の失意は,国家政策に翻弄される使節支倉常長の悲劇を招く.迫害を避け,隠遁生活を送り,帰国から2年後に支倉は死去している.史料の制約から,伊達と支倉の結びつき,通商目的だけの遣欧を命じられたのかどうかの詳細は不明である.

 数少ない文献記録から「再構築」された事柄は,小説となって新しい命を吹き込まれる.遠藤周作は長谷倉六右衛門(モデル:支倉常長)を,帰国後に切支丹として処刑される人物に翻案している.国家の命を果たすためのバプテスマは,野心的な宣教師ベラスコの眼を通した日本人の宗教観からすれば,信頼に足るものではない.

彼らの感性はいつも自然的な次元にとどまっていて,決してそれ以上,飛躍しないのです.自然的な次元のなかでその感性は驚くほど微妙で精緻です.が,それを超える別の次元では捉えることのできぬ感性です

 日本人独特の崇拝物,その対象観を「治す」ことに失敗したと自己批判するベラスコをよそに,長谷倉は邪教に帰依したかどで火刑に処せられる.政争の具としての信仰が,個人としての真の信仰を自覚する疼きが長谷倉を襲う.肉体の消滅という悲劇を通じて,信仰に殉ずることの神髄を描く意図がそこにはある.

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原題:侍

著者:遠藤周作

ISBN: 9784101123257

© 1986 新潮社