日本人をも魅了し続ける,三国志.しかし,『三国志演義』や,それを下敷きにした小説・ゲームの世界は「虚構」に満ちている.また,「正史」と呼ばれる歴史書の『三国志』も書き手の偏向がつきまとう.本書は,一般に親しまれている『演義』を入り口に,「正史」の記述を検討.そして,史実の世界へと誘う.暴君董卓の意外な美点,曹操が文学に託したもの,劉備と諸葛亮の葛藤…あなたの知らない三国志がここにある――. |
西晋の歴史家陳寿が著した「正史」と,朱子学の影響を受け毛宗崗本と呼ばれる「演義」.本書は民間伝承の部分と支配階層による史伝を画すのではなく,ともに受容された『三国志』の“表情”という視点をもって,史実に分け入ろうとする.蜀を正統とする朱子学の立場からは,蜀漢が判官贔屓となり,革命の正統性を重んじる西晋の史家は,曹魏を正史の主役としてきた.
三国はいずれも勝者ではない.曹魏も蜀漢も孫呉も天下を統一することはなかった.統一した西晋もまた,匈奴に破れた.「三国志」を「滅びの美学」に描く『演義』は,「分かれること久しければ必ず合し,合すること久しければ必ず分かれる」との循環論的な歴史観を冒頭に掲げ,その悲劇を美学に昇華している
歴史を折々,都合よい解釈で記述する「正史」には,革新的な価値観や制度を次々に打ち出した曹操,中華の「漢」王朝の伝統を復興する三絶(劉備・関羽・諸葛亮),曹魏と蜀漢の華々しさを演出する役回りを与えられた孫氏三代への畏敬とルサンチマンがある.「演義」にもそれらは移植されているが,司馬懿に「人か,神か,仙人か」と言わしめた諸葛亮の神算鬼謀は,奇門遁甲の道術,神仙の方術を駆使する怪力乱神.
「演義」における人智を超えた術策の応酬は,「正史」にはないドラマチックな文学性の薫りを高めている.本書は,三国志に関連する古典の照会が豊富に行われ,三国時代の知られざる史実と虚構の世界を提示する.どちらの世界も,魅惑的であることがよく分かる.著者は三国志学会副会長兼事務局長を歴任,同学会編纂の著書『三國志研究入門』(2007)『漢文講読テキスト三国志』(2008)などがある.
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著者: 渡邉義浩
ISBN: 9784121020994
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