19世紀半ば.エイダは娘のフローラとピアノとともに見知らぬ男のもとへと嫁いでゆく.口のきけないエイダにとってピアノは言葉の代わりであり,全てだった.しかし夫のスチュアートはピアノを海辺に置き去りにし,粗野な男ベインズの土地と交換してしまう.エイダに興味を抱いたベインズはレッスンと引換えにピアノを返すと約束をする.警戒しながらもピアノを弾きに通うエイダだったが…. |
海岸に置き去りにされ,しとどに濡れるピアノ.それに病的に執着する女性の声ならぬ声.理由を明かさず6歳で発声を止めたというエイダは,生活行動に伴う声を発さない.しかし,彼女が心の中でつぶやくモノローグは,誰にも聞かれぬ魂の声となってピアノの鍵盤を通じて独特の旋律を奏でる.エイダと現実をつなぐのは,年端もいかぬ隠し子として母に寄り添う癇性の娘フローラ.土地と引換えに妻のピアノを勝手に売り払う傲慢な夫に抗うこともなく,ピアノを取り戻すためだけに粗野な男ベインズへの"レッスン"に応じることにしたエイダは,武骨な男の手がピアノの鍵盤に触れることに愉悦をおぼえ,首筋に触れられる瞬間やスカートを捲し上げられることの許容が前戯へと変わりいつしか身も心もベインズに開放した.
ベインズは,無機質な石のような心しかもたぬ夫スチュワートと対照的で,粗暴にみえても率直で情熱的な感情をエイダに与え,なによりピアノへの愛情を育て続けた.一方のエイダは,自分の「意思」をピアノとは別の心的複合体――コンプレックス――に託し,溺れるという甘露の味をはじめて覚えた.それがスチュアートに知られるも,夫の憤怒,母の汚れた一面を覗き見た娘の混乱,いずれもすでに女性として自我に目覚めたエイダを止めることはかなわなかった.原題"THE PIANO"のとおり,官能的なメタファーとしての鍵盤楽器が本作の主体であり,リビドーを抑圧した陰気臭い亡霊のような女性が性の悦びと自己表出に目覚める.その過程で不道徳やインモラルへの葛藤をかなぐり捨て,女性の尊厳を蔑ろにし続けた夫に引導を渡し新天地に旅立つ.
精神的成長というにはふてぶてしい軌跡というほかはないが,風光明媚なニュージーランドの海岸や鬱蒼とした森に降り注ぐ雨,ぬかるんだ地面に擦れたドレスを汚し続けながら大地を踏みしめ走り抜ける母娘の生命力はただものではない.本作の扇情的な情景は,マイケル・ナイマン(Michael Laurence Nyman)の印象的で流麗なピアノ曲がなければ陳腐になっただろう.4つのフェーズからなる1楽章の協奏曲は約32分だったが,エイダ役のホリー・ハンター(Holly Hunter)の演奏用に映画オリジナル版が書き下ろされ,フルオーケストラのためのテクスチャーを精巧に,ピアノパートをより名人芸的にするアレンジがなされている.
エイダ役を探すため,ジェーン・カンピオン(Jane Campion)はイギリス,フランス,アメリカで数人の女優――ジュリエット・ビノシュ,アンジェリカ・ヒューストン,ジェニファー・ジェイソン・リー,イザベル・ユペールら――にコンタクトをとった.カンピオンはシガニー・ウィーバー(Sigourney Weaver)を希望していたが,ちょうど育児中であったウィーバーの状況を考慮し,エージェントのスティーブ・ドンタンヴィル(Steve Dontanville)はウィーバーに話を通さずにオファーを断った.後にこのことを知ったウィーバーは,ドンタンヴィルに強く抗議したという.余談ながら,ドンタンヴィルは女優のマネジメントに関して,たびたびこのような不始末を起こすエージェントだった.2012年にはジュリアナ・マルグリーズ(Julianna Margulies)の契約時に委託手数料の口頭説明を怠り,契約違反でマルグリーズは補償的損害賠償の対抗訴訟を起こしている.
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原題: THE PIANO
監督: ジェーン・カンピオン
121分/オーストラリア=フランス/1992年
© 1992 Jan Chapman Productions, CiBy 2000