百貨店の資料室に勤め,主としてフランス語の翻訳をしている,若く知的な独身女性小泉真咲.彼女は自分の人生が女性であることに限定されているのが不満だった.自分をとりまくどの男性にも心身をまかせる決心がつかない.彼女が自分自身の人生を生きようと決意した瞬間から孤独な戦いが始まる.人間の愛と孤独を<性>を直視して描き,現代女性の生き方を追求した問題作――. |
主体的行動によって得られる充足感の対極に,欠乏感がある.人は独りで生まれ,独りで死んでいく.究極的にはそうであっても,生きている間は人に関わることを余儀なくされる.その関わり方にセオリーなどはないが,30を越えてフランス語翻訳の専門性をもった独身女性小泉真咲にも,女性を縛るモラルは鬱陶しくまとわりついてくる.とりわけ婚姻という社会制度は,その束縛の攻勢を強める包囲網でもある.ただ小泉にも恋愛や結婚への興味はある.その意味では潔癖主義とはいえないものの,その観点は「男性追従」型であり,社会的に自立した女性を自負する彼女には承服しかねる価値観である.
婦人参政権不要論を唱えたことすらある著者は,長谷川町子『いじわるばあさん』で暗に批判されたことがある.女性であること自体を「不利」と解釈されることに憤懣を覚える小泉の周囲には,様々な異性遍歴をもった人物が位置している.生活の安定のため結婚を手段として選ぶ者.年甲斐もなく異性を追う男女.彼らを冷ややかに眺めながら,自分の現状の行く末は孤独あるのみと小泉は同時に考える.本書は,女性の従属を「多数の小さな剥奪の総和」とみるリベラル・フェミニズムに近い立場で著されている.彼女を含め,孤独を飼い馴らす術を誰も心得てはいない.
そうとはいえ,結婚・非婚・未婚の価値を断定するほどに,信念を固めていないゆえの焦燥が延々と語られ,アナクロニズムを成している.小泉の恋愛と結婚観の果てに提示される松尾芭蕉の句は,寂然たる状況への皮肉を篭めた一句.そこに至る道を踏み続けるか否か,小泉は結論を出さずに独りごちる.ライフスタイルの変更を女性側の敗北ととらえ,頑なに抵抗するように見える彼女には,視野が欠けている.そして,それに気付きそうもないことを暗示する結末が実にシニカルなのである.
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原題: 独りきりの世界
著者: 石川達三
ISBN: 4101015422
© 1982 新潮社