▼『風船爆弾』鈴木俊平

風船爆弾 (新潮文庫)

 和紙と蒟蒻糊で作った直径10メートルの水素ガス気球に爆弾と焼夷弾を吊るし,高度1万メートルのジェット気流にのせてアメリカ本土を直撃する!昭和19年11月,悪化した戦局打開を図る起死回生の秘密兵器は,過酷な戦争の渦中とも思えぬ幻想的な姿を見せて,太平洋岸の三基地から飛翔していった.日本人に潜在する奇抜な頭脳と行動力の結晶…その誕生から終焉までを克明に描く――.

 平洋戦争末期,旧日本軍が独自に開発した「風船の軍事利用」.秋季から冬季には関東~東北にかけ,上空8,000メートルから12,000メートルの高度で偏西風が吹く.最速は時速300キロメートルに達する.これに乗じて,福島県勿来,茨城県大津,千葉県一宮から風船爆弾9,300発がアメリカ大陸に向け発射されている.戦艦大和の建造総予算は1億3,780万円であったのに対し,一説には風船爆弾には2億円の予算が投じられたという.その性能は,直径約10m,総重量200kg.兵装は15kg爆弾1発と5kg焼夷弾2発であった.

 心臓部にあたる「高度維持装置」は,気圧計で気圧の変化を感知し,高度を制御することができた.薄い和紙を5層にしてコンニャク糊で貼り合わせ,乾燥させた後に,風船の表面に苛性ソーダ液を塗ってコンニャク糊を強化.内部には水素ガスを充填したという.アメリカ本土で視認された風船爆弾は285個.人的被害としては,1945年5月5日,オレゴン州ブライで不発弾に触れたピクニック中の民間人6人(女性1人と子供5人)が爆死した例のみ.1万2,000キロメートル離れた敵国を無人で爆撃する凶器の精度は,大変低いものであったといえるだろう.

 日本の上空に飛来し,高度1万メートルから10トン近くの爆撃を行ったB29の「成果」との落差は歴然としている.しかしアメリカ上層部はこの新兵器を軽視していない.大統領ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman)は風船爆弾防衛作戦班を組織し,その一員を務めた隕石学者は,トルーマンの内心には風船爆弾の脅威があり,それが原爆による大殺戮の遠因の1つとなったと見てよい,と証言している.さらに,偶然のいたずらか,ワシントン州ヤキマ市にあるプルトニウム生産のハンフォード工場に,1発の風船爆弾が到達し,工場の送電線に引っかかって停電をもたらした.これにより原子爆弾の製造は3日遅れたとされているが,なぜか風船爆弾は不発に終わっていた.

「日本人は,何を仕出かすか判らない」

土地も資源も弱小だが,その国民性は底知れず強靱でまるで奇術師のよう老獪さと不撓不屈の精神を武器にしてあらゆる知恵をしぼり出してくる.賢明な頭脳と愚直なほどの勤勉さを一丸にしてぶつかってくる日本および日本人というものに,かれらは神秘な無気味さをあらためて抱いた

 2001年9月11日まで,アメリカ本土は直接の爆撃を受けたことがないというのが定説であった.実際には,旧日本軍のアイデアと技術により,アメリカは微々たる被害であっても本土爆撃を被っていたのである.風船爆弾に細菌兵器が搭載され,拡散する事態をアメリカ側は懸念した.日米の新兵器の攻防は,一般国民の知られざる状況ですでに為されていたわけである.終戦時に残存していた風船爆弾700発は焼却処分され,国内には現存しない.だが先述の“不発”風船爆弾は「捕獲」され,ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に損傷もないまま収められた.

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原題: 風船爆弾

著者: 鈴木俊平

ISBN: 4101362017

© 1984 新潮社