暴力を否定し,調和的な愛を強調するこの作品は,作者最後のかつ最高の傑作で雄大な構想,複雑で緻密な構成,人間精神の深刻な把握,また人類の苦悩に対する深い理解と愛情とをもつ.淫蕩なフョードルを父に持つ三人の兄弟を主人公に,悪夢のような一家の形成から破滅に至るまでの複雑多岐な内容を短時日の事件の中に描き出す――. |
卑小さと尊大さが矛盾を孕みつつ,鼓動し続ける精神の内部.同時代に活躍したレフ・トルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj)『戦争と平和』に触発され,ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)『神曲』,ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)『ファウスト』に比肩するといわれる畢生の大作『カラマーゾフの兄弟』.深遠かつ肥沃な思想を源泉とする哲学と壮大な構成意図,神のイコンに通じるロシア正教やギリシャ正教を射程に置く信仰が雄大な芸術にもたらす影響,そして場面を改め,複合的に現れる罪と裁きの糾弾意識.そのすべてが,万華鏡のように展いてはすぼみ,難解な次元にありつつ高尚な極みに昇りつめてゆく.
フョードル・ドストエフスキー(Fyodor M. Dostoyevsky)は,「罪の認識」を時代の時系列とは距離を置いて描き続けた.トルストイは歴史の時間とトピックに呼応した物語を展開させたが,ドストエフスキーはそうではなく,知識階級の罪の問題を扱いながら,犯罪に裁きを加える法による罪と,宗教による救済対象の罪が,現実にはない異質な時間観念で対立することを示した.このことを加賀乙彦は「ドストエフスキー時間」と呼び,小説の時間の濃密な流れを要約することが不可能,と解釈した.本書は,所々に“語り部”としてドストエフスキーの独白が挿まれ,「家畜追込町」という滅裂な名称の町で繰り広げられた「父親殺し」の物語.ただし町の名前は終盤にまで登場せず,地名という位置づけにより得られる小説の現実感は重要視されない.長大な一篇ではあるが,その大半はわずか3日間のうちに起きた出来事の説明に過ぎない.その狭間を長身の蛇の如くのたうつ,思想と観念の開陳が,時間を超越した宗教と19世紀ロシアの社会変動の対話を物語っているのである.
50の坂を越えた地主フョードル・カラマーゾフは,貪婪で淫蕩,利殖にしか興味がない男.若いころからの肉欲生活のために衰弱し始め,神の存在や死後の世界について心を悩ませていた.彼には4人の息子がいた.最初の妻との間にもうけた長男ドミートリイは,借金問題に悩む27歳の退役士官で,肉体的で男性的な遊蕩児.妖婦グルーシェンカに翻弄されるが,恋敵となったフョードルと激しくいがみ合う.次男イヴァンは徹底した合理主義な無神論者,三男アリョーシャは幼いときから僧院に入り老僧ゾシマに教導される敬虔な信仰者.次男と三男は2番目の妻との間にできた息子であるが,夫の虐待により妻は発狂した.さらに四男のスメルジャコフは,フョードルが宿なし女と関係を結んで生まれた私生児である.スメルジャコフは癇癪の発作をもち狡猾で,自らの出自と父フョードルを憎悪している.
フョードルが3,000ルーブルを奪われ何者かに撲殺された当日,愛人と父の仲を疑うドミートリイが激昂してフョードル邸に向かっていた.潜伏していたドミートリイは,夜警の下男に見つかり彼に傷を負わせてしまった.圧倒的にドミートリイの不利を示す状況証拠が捜査で明らかにされていき,ドミートリイは起訴され裁判が起こされる.次男のイヴァンは,父の死亡を聞いてモスクワから戻ってくる.兄の犯行を疑うが,同時にスメルジャコフにも疑いを向けた.「父の殺害を唆したのは,神がいなければすべて許されると話していたあなただ」と言い残し,裁判の前日,スメルジャコフは自殺した.裁判では,ドミートリイに不利な証言ばかりが提示された.イヴァンは法廷で「犯人はスメルジャコフだ!しかし彼をフョードル殺害に向かわせたのは自分だ!」と叫ぶ.しかし,ドミートリイの無罪を証明する物証は上がらず,金銭を奪った挙句父を殺害したという有罪判決が下され,ドミートリイはシベリア20年の流刑に処された.
ドストエフスキーは,この作品を完成させるにあたり,2人の男系の肉親を失った経験を投影させた.1人は3歳まで生きられなかった彼の次男アレクセイ(Alexey Dostoyevsky)である.ドストエフスキーの宿痾は癲癇であったが,アレクセイにもその持病が伝わっていた.1878年5月に亡くなったアレクセイは,愛称をアリョーシャといった.彼を偲び,本書で三男の名を同じにし,愛憎渦巻く父子をめぐる事件とは,一見距離を置いているかに見える信仰者アリョーシャをドストエフスキーは創造した.アリョーシャは,「神の人」を意味する5世紀のローマの聖者の名に由来し,ドストエフスキーはこの聖人を心から敬愛していたという.アリョーシャの本作の位置づけ,それは息子アレクセイへの鎮魂であった.
作中,アリョーシャを導く僧院のゾシマ長老のもとに,一人の女性が訪れる.彼女は,3歳を目前にして死んでしまった息子への罪悪感に苦しんでいた.ゾシマは天国の道を説き,女性を安静に導く.しかし,フョードルの息子アリョーシャは,聖化された位置にありながら,イヴァンとの対話で,極悪非道な領主は「銃殺すべき」と言い放つ冷酷な面を持つ.僧院の教えに帰依する身であれば,生命の価値を軽んじるそのような世俗的な制裁は許されない.フョードルの因子は,男性的・活動的な面がドミートリイに受け継がれ,合理主義的な面はイヴァンに,残忍で狡猾な要素はスメルジャコフに受け継がれた.同様に,アリョーシャには宗教へ求める救済の精神が息づいているのだが,それが彼のうちに結晶化されイコンとなってはいない.兄弟のうち唯一,清廉潔白な道を歩んでいるように見えるアリョーシャにさえ,独自の倫理や価値の鬩ぎあいが内部で拮抗しているのである.
失われたドストエフスキーの2人目の肉親は,実父ミハイル(Michael Dostoyevsky)であった.ドストエフスキーが18歳の時,ミハイルはモスクワより南に位置するダロヴォエ村で農奴に惨殺される.その地の領主を務めていたミハイルは,ナポレオン戦争に従軍し,酒に溺れ家庭内で暴力を振い,農奴の娘たちを凌辱した.まさに淫蕩と暴力の限りを尽くした悪鬼のような男であり,それがカラマーゾフ兄弟の父フョードルの人物像に直結している.ドストエフスキーは,父の殺害に大きな衝撃を受け,生涯彼を苦しめる癲癇発作が,この時初めて起きたという.父親の死を渇望しなかったとはいえない――スメルジャコフの告白がイヴァンには突き付けられた.ドストエフスキーの心情は,イヴァンに投影されている.
本作のテーマは,父殺しを発端とする人間の罪悪観念と魂の救済対象は宗教か,社会制度としての法か,といったことであり,またドストエフスキーが関心を寄せた神権政治とのかかわりで,果たして人間の精神の救済は宗教と法のどちらが優越するかということにある.問われるのは,罪の認識ということであった.法による裁きよりも神の恩寵に倫理と道義が見出されるならば,国家と教会による宗教思想と司法制度についての対立論に分け入らねばならない.よって,19世紀ロシアで理性万能主義思想に影響を受けた知識階級の革命ではなく,キリスト正教に救済を求める経路が考察される.
本書は,未完の書である.「偉大なる罪人の生涯」と名づけられるはずだった書名が変更され,5部構成から2部構成へなったことが,ドストエフスキーの十数年のプロットであった.第1部はこのカラマーゾフ兄弟と父フョードル殺害をめぐる物語であり,第2部は13年後のアリョーシャを主人公とするロシア皇帝アレクサンドル2世(Aleksandr II Nikolaevich Romanov)暗殺の物語になるはずであった.しかし,ドストエフスキーは第1部を脱稿した3ヶ月後の1881年1月28日に鬼籍に入った.したがって,本作の最終展望は誰にも分からない謎として残された.
19世紀ロシアの社会状況と一国の運命に,ドストエフスキーは強い関心を寄せていた.社会主義思想が広まるなか,ロシアは西欧の司法制度を取り入れながら,伝統的なロシア正教との整合を図ろうとしていた.フョードルを直接的に殺害したのはスメルジャコフであったが,教唆を与えたのはイヴァンであり,ドミートリイは愛人を巡る争いと憤怒から,常にフョードルへの殺意を抱えていたことは明らかである.第2部で描かれる予定であったアレクサンドル2世は,「民衆の父」とされ「下から起こるよりは,上から起こった方がはるかによい」として,1861年農奴解放令を発して改革に着手した皇帝である.5,000万人近くの農奴がこの改革で自由を得たが,実態はフョードルのような地主の策略により極めて不公正な実施を伴う,いびつなものだった.皇帝と地主の権力を打倒する勢力が,再三の皇帝暗殺を企て,1881年「人民の意志」党員の投じた爆弾により,アレクサンドル2世は爆死した.
ドストエフスキーは,ミハイル・ペトラシェフスキー(Михаил Васильевич Петрашевский)率いる空想的社会主義サークルに加わったことで,1849年に逮捕され,死刑判決を受けた.執行直前に皇帝からの特赦が与えられ,1854年までシベリア流刑に処された.流刑地での過酷な日々を1861年に『死の家の記録』として世に出したが,現実の変革を文学の外部から為そうとした試みの敗北という経験から,人間の実存を追求する姿勢に傾いていく.農奴を意味する“スメルド”からスメルジャコフの創造がなされた.さらに実父を虐殺し,「民衆の父」ロシア皇帝を斃した農奴――アレクサンドル2世が暗殺されたのはドストエフスキーの死後であった――は,暴動を起こす反面,為政者に搾取されていた存在でもあった.それに憤る段階を超越して,ドストエフスキーは男子が父親を殺すプロットを内包し,ロシアの行く末を案じる作品を文学に投じた.罪の意識の連帯は,正教によっても司法によっても断罪することができるが,問題は,どちらが主体となるかである.ドストエフスキーの中で理想主義的な社会主義は死んでいた.1858年にペテルブルクに帰還し,1866年『罪と罰』を発表する頃には,正教による人道主義がすでに色濃い.ロシアに社会主義国家が樹てられたのは1917年である.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: БРАТЬЯ КАРАМАЗОВЫ
Author: Fyodor M. Dostoyevsky
ISBN: 9784003261491, 9784003261507, 9784003261514, 9784003261521
© 1927 岩波書店