▼『悪魔の辞典』アンブローズ・ビアス

悪魔の辞典(新編) (岩波文庫)

 恋愛-一時的の精神異常だが,結婚するか,あるいは,この病気の原因になった影響力から患者を遠ざけるかすれば,簡単に直る.このような風刺と機知に富む社会批評で,19世紀末アメリカのジャーナリズムで辛辣な筆を揮ったビアス(1842-1914?)の箴言警句集芥川龍之介の『侏儒の言葉』にも大きな影響を与えた――.

 ンブローズ・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce)は,辛辣な風刺で鳴らしたジャーナリストの顔を持っていた.同時にコラムニストでもあったが,皮肉屋の顔は社会を揶揄するときに生きた.本書は,ABASMENT【卑屈】からZOOLOGY【動物学】まで,AよりZまでの英単語にビアスの解説を付したもの.ただ,それだけなのである.辞典(DICTIONARY)については,こうある.

1つの言語の成長を阻止し,その言語を固定した融通の効かぬものにするため工夫された邪念のこもった文筆にかかわる装置.ただし本辞典はきわめて有益な作品である

 これが社会通念上の「辞典」を定義していると考えると,えらい目にあう.おそらく一般的には,「用語としての意味・用法と内容を示す辞書」が大方の同意を得られる説明になる.それをビアスは,邪念のこもった文筆の装置と言ってのけた.これは一例でしかない.では,彼が“悪魔的に”定義したその他の用語を概観してみることにしよう.

「BRIDE [花嫁]…幸せ探しを過去に葬り去った女性」

「FAITH [信仰] …知識のない人間が言ったことを根拠もなく信じ,比類ない物事だと思いこむこと」

「COMFORT [安らぎ] …隣人の不安をじっくりと眺めることから生み出される精神状態」

「DARING [勇気] …あらかじめ安全を確保しておいたひとに見られるもっとも顕著な特徴のひとつ」

「RANK [地位] …人間の価値を計る相対的位相」

「NONSENSE [意味不明] …このすばらしい辞書に寄せられる非難のこと」

 すべての用語に毒素が充満している.痛烈な皮肉やブラックユーモアを,ノア・ウェブスター(Noah Webster)は「もっとコミカルに発表すればよかったのだが」と寸評した.けれど,ウェブスターの意見などビアス聞く耳を持たなかったに違いない.ウェブスターの編纂した辞書(1828年)には,聖書についての記述が多々あることはよく知られている.ウェブスターは熱心なキリスト教徒で,聖書を無視した教育は無益だとさえ感じていたという.ところが,ビアスの社会批判でもっとも強烈に打ち出されているのは,なんと宗教批判なのである.

以前に『悪魔の辞典』を妙訳された西川正身先生は,そのテーマを,(1)政治,(2)宗教,(3)戦争,(4)文学,(5)女性,(6)人間性,(7)言語,(8)その他という風に分類され,数の上からは,政治関係が一番多いとされている.しかし,もっとも強烈なのはやはり宗教批判であった.これはわれわれ3人の訳者の共通した印象である *1

 ビアスは反体制的であり,現実主義者であり,時にはロマンチストだった.ある時は宗教をコケにし,その返す刃で科学を皮肉り,自然に疑いの目を向け,文明をからかって喜んだ.ビアスはあらゆるものを手玉にとって,おおいに遊んだのである.ビアスは子沢山の家に生まれた.1年と8カ月おきに次々に子を設けた両親は,結局13人の子をもった.そのうち3人は早くに亡くなり,ビアスは10人のうち一番下の男児だった.父マーカス(Marcus Bierce)と母ローラ(Laura Bierce)が多産だったのは,当時のアメリカ開拓民にはよくあることだった.開拓民のなかには100歳の長寿を保ち,自分の子ども以下,孫,ひ孫,玄孫合わせて500人を抱える人物もいたという.ビアスは,それほど子沢山だった実家をうらめしく思っていた.

人間の心は一定量の愛情しか持たない.人によって,その持っている愛情の量は違っているが,違ってはいても,その量はつねに一定していて,増加することがけっしてない.したがって,対象の数が多くなればなるほど,1つ1つの対象が受ける愛情は,それだけ分量が少なくなるわけだ *2

 これは彼の思い込みというべきだろう.両親が子どもたちにつらく当たったということも,またビアスだけに嫌がらせをしたとも伝わってはいない.ただ,両親のしつけは厳しかった.だからきょうだいの末っ子であるビアスだけに目を向けることも難しく,口を開けば説教が多くなったのはある意味で仕方がない.自分が邪険に扱われている,という不信感がビアスに堆積していったのは,すでにこの頃からだと思われる.気に入らないことがあれば,1人で外出して自然から慰めを得ることも覚えた.4歳の頃にインディアナ州のウォーソー近くに越してからのことだ.ビアスはこのようにして自分以外のものを信じない性情を作っていった.

 高校を卒業して南北戦争に加わったとき,彼は奴隷制度の廃止を理想にした.軍隊生活は彼の性分によく合った.緻密な性格と,規律を重んじる軍隊生活が肌に合ったのだ.しかし,辟易させられたのは職業軍人のしごきだった.しかも,配属された第9連隊というのは,特に訓練の厳しいことで知られていたのである.軍隊生活においても,ビアスはドライだった.しかし,意外な面がある.部隊の指揮を執っていた少佐が被弾した際,ビアスは危険を承知で少佐を救出し,おかげで少佐は生きながらえた.人との関わりを避け続けたにもかかわらず,不思議な指導力も持っていた.それを示すのが,彼の昇進の速さである.1863年に中尉に昇進したが,これは少尉になってからわずか2ヵ月後のことだった.きわめて異例の昇進である.また,精密な地図の作成にも大きな戦力と期待された.ビアスの作成する地図は実に正確なもので,有能な将校として重宝されていた.ところが,相性のよかったこの軍隊にすら失望せざるを得なくなってくる.それはチカモーガの戦いのころからだ.

この戦いで,南軍は,戦死者,負傷者,行方不明の者,合わせて18,000余を出すという大きな犠牲を払ったあげく,…中略…この戦いを通じて,ビアスは将軍と称する連中が,1,2の者を除いて,まるで信頼できないことを知った.その多くが,戦場で巧みに身を処し,その経歴を足場にして政界へ乗り出そうという野心にかられている *3

 こんな世界では,自分の理想など実現できるはずもない.上官は自分の利益のためなら,平気で部下を見捨てていく.軍隊に見切りをつけ,ビアスは自ら除隊を申し出た.冷め切った社会観に,さらに人間観が加えられたビアスは,筆をとりはじめた.サンフランシスコで夜警の仕事をしながらであった.図書館に熱心に通って,エドワード・ギボン(Edward Gibbon)『ローマ帝国衰亡史』を愛読した.ギボンは,「人類が人類の恩恵者達よりも破壊者達に対して相変わらず賞賛を惜しまない限り,戦争は結局,野心の最たる追求となろう」とも言っている.ギボンの何にビアスが共鳴したのかはわからないが,歴史や文学を読みふけり,週刊紙『キャリフォーニアン』『ゴールデン・イアラー』『ニューズ・レター』などに投稿をすることで,その毒の効いた風刺が評判を呼んでいくようになる.26歳で『ニューズ・レター』誌の編集長に抜擢されたのは注目される.当時まだ無名のビアスの文才を見抜いたのは,ジェイムズ・ワトキンズ(James Watkins)という『ニューズ・レター』の編集長だった.ライバル社から雑誌が創設されると聞き,執筆陣の一新をおこなった.その時にビアスに白羽の矢が立ったというわけだ.

 すでにビアスは「サンフランシスコの極悪人」と呼ばれ始めていた.雑誌の発行部数も伸びはじめ,29歳で縁あって資産家の娘,メアリ・エレン・デイ(Mary Ellen Day)と結婚する.クリスマスの夜だった.ビアスはいやみったらしい風刺を書く一方,男らしい風貌とのギャップが女性に受けて,わりあい人気者だったらしい.「女性一般を賛美することと,女どもを中傷する精神は矛盾しない」などとふざけたことを言っている.子どもには恵まれたが,人間は本質的に信用できぬもの,人生とは,悪魔との対峙が避けられぬ苦痛のものと考えていた.それは,後年,結婚生活が破綻して一人身になってからは強く感じたであろうし,長男が女性関係のいさかいからわずか16歳で命を落としたときにも感じたことだろう.やはり人生とはこんなもの,苦悩と不条理にみちたものであると.

 ビアスのビターはいかにも苦い.そして果てしない.実のところをいうと,ビアスは人嫌いではあったが,心底人間そのものを憎んではいなかった.確かに,人と溶け合うことは終生なかった.家族に対してさえ,そういえるのである.いつも喘息に悩まされていたことも影響しているかもしれないが,子どもが成長してからは,家族と離れて1人暮らすことを選んでいた.ジャーナリストとして筆を振るうなか,高名なビアスを慕って全盛期には門下生が3,000人も集まった.しかし,いずれも彼らはみな離れていった.ビアスは徹頭徹尾,孤独を好んだからだ.一人娘のヘレン(Helen Bierce)は父親の思い出をこう記している.

…たいていは書斎のそばでじっとしたまま,ひと言も口をきかずにひとり物思いに耽っていました.長い時間森の中を歩き回っては,野鳥を相手にしてその鳴き声を真似ようとするのでしたが,そのうちに仲よくなって,鳥たちは差しのべた父の両腕や頭の上に群がり下りてきてとまるのでした *4

 ビアスは自然に抱かれながら思索に耽り,信用できない社会的ネットワーク――政治や経済や学問や宗教,あらゆるもの――を観察した.彼にとっては,家族ですらそのネットワークの一部だった.結局,家庭生活は妻との別居の末の離婚,2人の息子の不遇の死を迎え,悲惨な状態に陥った.人生を語り合う友人などいるはずもない.1913年,『ビアス全集』(12巻)を完成させた後,この孤独の風刺家,「文筆界の解剖学者」は消息を絶ってしまった.南部の古戦場を見て回る旅に出かけた理由は,1つしかない.唯一,社会での居場所を見つけたように思えたのは,若き日の軍隊だったのだ.サンアントニオエル・パソチワワ州チワワ,そして「オヒナガに向かう」と知り合いに手紙を出して以後,彼の行方は杳として知れなくなった.

 革命のさなかのメキシコに出かけたことは自殺行為だが,その後,風の噂で「ビアスはグランドキャニオンで自殺した」と囁かれたことがある.失踪の3年前,姪に「グランドキャニオンあたりで骨を埋めるつもりだ」と書き送ってはいるが,メキシコからアメリカへ戻ったという証拠は何もあげられていない.

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Title: THE DEVIL'S DICTIONARY

Author: Ambrose Bierce

ISBN: 4003231228

© 1997 岩波書店

*1 A.ビアス(1975)『悪魔の辞典』奥田俊介, 倉本護, 猪狩博訳,角川書店,p.420

*2 西川正身(1974)『孤絶の諷刺家アンブローズ・ビアス』新潮社, p.25

*3 西川正身(1974)前掲書,p.68

*4 西川正身(1974)前掲書,p.164