■「事件」野村芳太郎

あの頃映画 「事件」 [DVD]

 神奈川県の相模川沿いの山林で,若い女性の刺殺死体が発見された.被害者はこの町の出身で,厚木市でスナックを営む坂井ハツ子(23才)だった.数日後警察は19歳の工員,上田宏を逮捕した.宏は,事件の夕刻,現場付近の山道で地主に目撃されていた.その後の調べで宏は,ハツ子の妹・ヨシ子と同棲していた.ヨシ子は妊娠3ヶ月だった….

 会派法廷劇の傑作「疑惑」(1982)で,野村芳太郎は毒婦のドス黒い疑惑,司法だけでなく第四権力(ジャーナリズム)を敵に回してビクともしない刑事被告人の胆力を描いた.男を籠絡あるいは論破するという共通要素を嗅ぎ取った上での被告と女性弁護士.それらの「訣別」の構図,事件をセンセーショナルに書きたてるネガティブ・キャンペーンの功罪――それらが映画の巧みなプロップとして機能していた.本作も法廷ドラマの体をなしているが,「疑惑」とはまったく違うアプローチが取られている.

 冷徹な検察官(芦田伸介)の起訴状朗読から,冒頭陳述,証人尋問,論告,弁論という刑事裁判のプロセス.そこに回想シーンが挿入され,19歳の被告(永島敏行)が引き起こした事件の「内実」を徐々に明かしていく仕掛け.過去の彼の行為が法的,精密に検証し裁かれる過程で,法廷に召喚された様々な証人の思い違い,見当違いも判明していく.鋭い論理で検察官に対抗する弁護士(丹波哲郎)の勇姿.丹波は「疑惑」でも刑事事件を扱う敏腕弁護士として登場したが,厄介な女性被告の弁護を辞退する役どころだった.

 本作では,被告の殺意を否認し,傷害致死罪か過失致死罪であるはずと滔々と弁じ立てる.2つの作品は,原作者も違えば役の因果関係もないが,刑事事件を扱う弁護士の「好み」や「意思」というものを連想させて面白い.本作には大変珍しい描写がある.裁判長(佐分利信)と若い裁判官が公開の法廷を退出し,評議室で判決の行方について討議し,その社会的影響についても論じる.密室における法衣の裁判長らの意見交換はなかなか映画として登場してこないため,審理のプロセスは新鮮に映る.

 荒れた生活に陥っていた被害者の過去が解明されていくにつれ,清純な妹に対する彼女の劣等感や怒りが,19歳の青年を奪い合う剥き出しの情炎を熾していた.人を殺傷すれば,罪に問われることは当然ながら,現実には,実に複雑な感情と力関係の綻びが,凶悪な事件を生起させている.その重い事実を,一般市民も法曹関係者も果たして弁え解釈しているのか――これが,本作の最大の主張であるように受け取れる.しかし,本作の渡瀬恒彦といい,「疑惑」の鹿賀丈史といい,腹立つくらい巧いチンピラの法廷証言は,どうしてこんなに面白く聞こえてしまうのだろうか.またそれが事件の核心を確実に衝く.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: 事件

監督: 野村芳太郎

138分/日本/1978年

© 1978 松竹