▼『窓ぎわのトットちゃん』黒柳徹子

窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)

 これは,第二次世界大戦が終わる,ちょっと前まで,実際に東京にあった小学校と,そこに,ほんとうに通っていた女の子のことを書いたお話です……小林宗作が作ったトモエ学園のユニークな教育と,そこに学ぶ子どもたちの姿をいきいきと描き,戦後最大のベストセラーとなり,世界中で愛読されている黒柳徹子の自伝的作品――.

 京都目黒区自由が丘,東急東横線正面口から東へ徒歩1分.1937年「リトミックによる創造教育」を実践したトモエ学園がそこにあった.学園のルールはただ一つ.どんな子どもにも眠る個性と可能性を最大限に引き出すこと.今でこそ,AD/HD(注意欠陥/多動性障害)などと称して,通常授業に参加することの難しい子どもへのインクルーシブ教育が促されるようになった.しかし,どこかわれわれは,そんな子たちを「特殊」であると色眼鏡で見てはいないか.学力や集中力など,周囲の子と比較して「劣った面」ばかりを取り上げて,社会の枠に押し込めることを最優先課題にしているのではないか.本書を読むと,そんな大人側のお仕着せは,傲慢で残酷なことなのだと自然に,省みざるをえない.

 黒柳徹子は,不器用な発音で「トットちゃん」と自己紹介するような子だった.いわゆる「多動」で,小学校の担任から匙を投げられたトットちゃんは,母親に連れられてトモエ学園にやってきた.校長の小林宗作は,初めて会ったトットちゃんにいろんな話をしてくれと頼み,トットちゃんは思い浮かぶままに話をした.電車のこと.着ている洋服のこと.愛犬ロッキーのこと.前の学校の先生のこと.幼稚園でのこと.母親のこと――思いつく話が尽きた時,小林先生はトットちゃんの頭に大きくて暖かい手を置いて,言った.「これで,きみはこの学校の生徒だよ」.トットちゃんはまだ時計を読めなかったが,小林先生と話をして4時間が経過していた.こうして,トットちゃんのトモエ学園生活が始まった.

 教室は払い下げの電車,授業の時間割はなく,勉強は好きな科目から始めていい.席順は自由.身体にコンプレックスを抱える子ども,そうでない子ども,みな同じようにプールに全裸で飛び込み,一人ひとりの自主性が尊ばれる.民間の特別支援学級だからできたことも多いだろう.小林は,日本のリトミック教育と幼児教育の体系化を目指した教育者だった.子は親の鏡,とかつてドロシー・ロー・ノルト(Dorothy Law Nolte)は作詩したが,子どもは周囲のあらゆる人間関係から,雰囲気を存分に吸って発達していく.教育とは,本質的に相対評価とは相容れないことに他ならない.「きみは,本当は,いい子なんだよ」.小林先生にそう言われ続けたトットちゃんは,大きくなったらスパイになりたいと思っていた.いや,やっぱり電車の切符売りになりたいと思った.いやいや,この大好きなトモエ学園の先生になりたいと考えるようになった.

 成長したトットちゃんが,その夢を果たすことはできなかった.トモエ学園は,戦災で1945年に焼失したからである.炎に包まれ,崩れ落ちる学園を眺めながら,小林は呟いた.「今度は,どんな学校,作ろうか」.黒柳徹子は,当時の思い出を忘れず,鮮明に紙面に再現することができた.800万部以上を売り上げた記録は空前絶後であるが,本書の映画化,ドラマ化などすべて断っている.読者のトモエ学園に対するイメージを壊さないようにとの配慮であるというが,おそらく,それ以上に彼女の心にあるトモエ学園の像は,いかなる努力が払われようと,視覚化できるものではないのだろう.子どもに自分の人生を確信させることが本当の意味での「教育」なのであり,どんな子にも本来備わっているセンシティブな感性を育てることの尊さ,子ども本人の長所や美点を一貫して認め続けること,これらが実践として行われた場が,自由が丘なのだった.

† 追 記 †

 初の映画化として,アニメ映画版が2023年公開(シンエイ動画株式会社製作)

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原題: 窓ぎわのトットちゃん

著者: 黒柳徹子

ISBN: 406145840X

© 1981 講談社