■「シティ・オブ・ゴッド」フェルナンド・メイレレス

シティ・オブ・ゴッド [Blu-ray]

 リオ・デ・ジャネイロの貧民街「シティ・オブ・ゴッド(神の街)」にクラス少年ギャングたちの姿を描く.カンヌ激震,世界が驚いたブラジル発“暴力的衝撃作”!貧困,麻薬,暴力の絶えない悲惨なスラム街で,果てしなく繰り広げられる,少年ギャングたちの仁義なきサバイバル・オデッセイ.スラムで実際に生活する若者たちを役者に起用,抗争の激化する現地でのロケ撮影を敢行し,怒涛のリアリティで観る者をノック・アウト!

 フラナリー・オコナー(Flannery O'Connor)はかつて,「絶望に至る道とは,いかなる種類の体験を持つことをも拒絶することである」と述べた.1960年代後半,ブラジル・リオデジャネイロ郊外に建設された公営住宅「神の街」は郊外に広がる一大スラムを駆逐するための都市計画であったが,その名前とは裏腹に強盗,殺人,麻薬ディーラーを生業とするストリートチルドレンが跋扈する無法地帯と化した.原作者パウロ・リンス(Paulo Lins)は300ページにわたり600人以上の神の街の住人が抗争を繰り広げるノンフィクションを著してスラムの内実を世に訴えた.フェルナンド・メイレレス(Fernando Meirelles)は,1980年代に多くのTVコマーシャルを手掛けた.血みどろの場面がてんこ盛りになるはずの映画化に際して,メイレレスはCM撮影で用いられる撮影技法を盛り込んで,陰惨さを軽減した作品に仕上げた.これにより,ポップなバイオレンスの描写が新鮮な彩りとなって作品を支えている.絶望的に治安の悪化した場所であっても,「これが日常だ」と開き直るある種の清々しさすら漂う.

 1960年代から70年代末にかけてのリオで,貧困にあえぐ地域“ファベーラ”の一つが本作の舞台「神の街」.ファベーラはブラジルの大都市や中規模都市の郊外に広がる貧民街である.そこに住む人々はファヴェラドスと呼ばれ,ファベーラは大都市周辺に広がって,都心部に貧民が流れ込むことを防ぐ人口調整弁の役割を担っている.「神の街」は,1962年から1965年にかけてリオ市西部ジャカレパグア地区に建設された.市内を襲った洪水の被災者がこの地区に移住することになったが,政府は土地を不法占拠して築かれた市内60ものファベーラを解体し,住民を神の街に集合させることとした.このような都市整備計画として行われたファベーラ対策だが,その背景にはファベーラ地区の極端な治安の悪さがある.

 ブラジルは1888年奴隷解放令を発令した.行き場を失った黒人人口がリオの山の周辺に築いた村落に集中的に流入し,都市周辺部の土地を占拠するファベーラを形成した.ファベーラが山の斜面に存在することが多いのはその名残である.1940年代には住宅危機が起こり,貧しいリオ市民の居住地は郊外に築かれた家屋が主体となる.これがファベーラの爆発的成長のきっかけとなった.1958年にはコーヒーの国際価格が大暴落し,ブラジルの国家財政は破綻した.1964年の軍事クーデター以後,1984年まで続くブラジルの軍事独裁が始まった.1970年代の軍事政権時代,ファベーラ撤去計画は活発化した.貧困者のための住居整備の名のもとに,ファベーラの解体と移転が繰り返されたが,政府は住民に対して移転先の居住場所での生活基盤をフォローすることはなかったため,これらの計画は失敗に終わる.1960年代に建てられた「神の街」もその例に漏れず,ファベーラ跡地に建てられても公営住宅内部の生活の荒廃は,ファベーラとなんら変わるものではなかった.都市部のストリートチルドレンは増加し続け,この地域での殺人率はリオのそれを超える数値となっている.

 貧困率の測定は,その尺度により姿を変えるので注意が必要である.しかし,ブラジルは国民の所得再分配がかなり偏っている国であると考えられている.国庫収入の50%は所得階層の上位10%が産み出し,全人口の34%が貧困線以下で生活しているという報告がなされている.神の街は地上6階建ての団地を中心に木材の小屋が乱立する.公開当時,街には12万の住人がいた.この人々は都心で低賃金の仕事に就くか,失業生活にあえいでいる.ドラッグの売買と銃撃戦が日夜繰り広げられる地獄の街.それが,風光明媚な観光都市リオ圏のもう一つの現実だ.リオデジャネイロ州には約900のファベーラが存在し,そこに麻薬密売組織が関与している例が数多い.抗争を繰り返している勢力は「コマンド・ベルメーリョ」「アミーゴ・ドス・アミーゴス」「テルセーロ・コマンド」の3つであるといわれているが,映画撮影当時もこの三大勢力が対立していたため,「神の街」現地では撮影を行うことはできなかった.

 治安の悪化するリオ市では,比較的安全であると考えられてきたレブロンフラメンゴ,ボタフォーゴ,イパネマといった南部地区においてさえ,武装したギャングによる強盗が多発しており,警察との銃撃戦で一般市民や観光客が犠牲になる例が後を絶たない.年端もいかない児童が銃器を手に徒党を組み,1970年代から街でのし上がっていく萌芽を本作は描くが,この集団は後に抗争の勢力の一つ,「コマンド・ベルメーリョ」を結成する3人のリーダーを生んでいる.暴力の世代間連鎖は映画のフィクションではなく,現実の歴史なのである.

 ブラジル映画は,「シティ・オブ・ゴッド」以後か,以前かと表現されるほど,本作は映画製作のビジネスに影響を及ぼした.ブラジル映画に関わる資金の流れは本作以後大きく変わり,それほど成功した映画となったわけだが,法的実体を公式には認知されていないファベーラを出身者の原作をもとに,赤裸々にその世界観を映画化したことが評価されたのだといえるだろう.ただし,陰惨な描写をそのまま映像化したのでは難がある.そこで,CMやMTVの手法をもつメイレレスが監督に起用された.映画で跳躍する人物,特に思春期のギャングメンバーは,ほぼ全員が実際にファベーラに住む住人である.2000人に及ぶ住人をオーディションで配役を選び,6か月の演技指導と4か月のリハーサルを経て,9週間の撮影で本作は完成した.台詞は70%がアドリブである.したがって神の街の生活感は,本物のリアリティが生きている証――生の躍動感――なのである.メイレレスは構成を3つの年代(60年代後半,70年代,70年代末)に分け,それぞれの時代の映像をセピアやブルーのカラーでまぶすことで,パレットの色分けのように時代感を切り分ける.

 遊びと犯罪が次第に境界線をなくして歩み寄り,ぴったりと一致していくことの危うさが満載の描写がなされていく.とりわけ,少年時代のリトル・ゼ(リトル・ダイス)が暗闇で真っ白い歯を剥き出しにしながら,無抵抗の人々を次々に射殺していくシーンは圧巻.まだ年少という理由で,見張りを命じられ,モーテルの金品強奪の実行グループに加わることを許されなかったダイスは憤る.「俺が考えた計画だぜ!マヘクにさせとけよ!こいつは何もできない役立たずなんだから!」「殺しも盗みもヤクもやる,だから俺は大人だぜ!」――このように言い放つダイスに長幼の序や遠慮など皆無である.あるのは「役に立つか立たないか=完全能力主義」の価値観であり,その価値は暴力による支配にのみ認められる.「神の街」の秩序は,幼児性と凶悪性を掛け合わせることを妨げない弱肉強食のルールに唯一縛られている.神の街では強ければ大人,度胸ある殺人者が大人,それが出来なければ子供なのである.

 映画製作の道徳観を問われたメイレレスはいう.「ファベーラ自体がポップでユーモア溢れる場所なのだから,それは仕方がない」.実際に起きた「神の街」抗争は,400人以上の死者を出してファベーラ地域の恐ろしさを世に知らしめた.成長したリトル・ゼはギャング界のトップにたちまち上り詰めるが,殺人を屁とも思わぬ凶悪ぶりに反して,女性へのオクテぶりと親友を殺された時の悲痛な絶叫は,シャイで友人思いの青年そのものだ.その青年が警官を買収して釈放された後,銃を与えたガキ集団にあっさり射殺される瞬間の無力感.そこに無抵抗の大人や子どもを笑いながら射殺した狂犬の面影はない――子どもを射殺するシーンはさすがにカットされている――.その死んだ姿を撮影してほくそ笑むブスカペは,これで報道カメラマンの夢に一歩近づいたことが嬉しいのだ.ギャングとは距離を置いてきた彼も,野望を果たすためなら何にでも食い下がるしたたかさを持つ.紛れもなく,ブスカペも「神の街」の住人なのであり,まばゆいほどの生命力に満ちている.題材の深刻さに比して,陰湿な悲嘆が本作を支配しないのは,軽いタッチで描写がなされ,ブラジル特有のサンバのリズム感が惨劇を緩和するためだろうか.登場する人物すべてが生きるための力を備えていることが陽性のイメージをもたらしている.結局,生命力とは,善悪とは根本的に異なるエナジーであるという事実を説得的に説明しているのだ.

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原題: CIDADE DE DEUS

監督: フェルナンド・メイレレス

130分/ブラジル=フランス/2002年

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