▼『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』デヴィッド・エドモンズ,ジョン・エーディナウ

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎

 偉大な二人の哲学者の生涯ただ一度の出会い.灼熱した言葉の応酬…そして火かき棒が一閃する.両者の間に横たわる深淵を探りながら,二十世紀中欧の知識人を襲った過酷な運命の軌跡をたどる――.

 納主義的経験論を退け,合理的な仮説の提起とその反証(批判)を通じた認識論「批判的合理主義」を提唱したカール・ポパー(Karl Raimund Popper).言語の本質的な有意味性の根拠と誤りから,哲学的問題は生じると論じたルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein).この2人は,偉大な哲学者の中でも各々の学派を作り上げた稀有な存在である.

 彼らが対面し"激論"を闘わせたのは,たった1度だった.1946年10月25日のケンブリッジ大学H階段3号室で開かれたモラル・サイエンス・クラブの定例会に招待されたポパーに対し,議長ヴィトゲンシュタインが「哲学にはそもそも解決する問題などない」「道徳的規範の実例を挙げよ」と議論を吹っかける.ヴィトゲンシュタインが,暖炉から火かき棒を抜きとり,振り回したことに立腹したポパーが「火かき棒でゲストを脅かすな」と叱責,激怒したヴィトゲンシュタインは,部屋から出ていってしまった.

 このように述べたポパーの自伝や,LSEポパーの後任となるジョン・ワトキンス(John William Neville Watkins)の文章の真偽をめぐって,ヴィトゲンシュタイン擁護派はそのデタラメぶりを非難している.この「藪の中」での出来事に,BBCジャーナリスト2人が取材,考察した書.ポパーウィトゲンシュタインは,ともに19世紀末のウィーン,同化ユダヤ人の家に生まれたが,両者の出自と社会的経済的地位には大きな開きがあった.

大きな問題にたちむかうときは,たんにそれがただしいからと主張するだけではたりない.どうしても情熱がいる.いまはもう,そういう知的な焦燥感は霧のようにきえてしまった.寛容性,相対主義,自分の立場を決めることをこばむポストモダンな姿勢,不確実性の文化の勝利,これらすべてをかえりみれば,火かき棒のような事件はもうおこらない.それにおそらく,いまではあまりにも学問の専門化がすすんでいる.そして高等教育の内部にもあまりにたくさんの運動や分裂がある.重要な問題は失われつつあるようにみえる

 強烈な個性でそれぞれが科学史,科学哲学の思想をリードしていくことに視点をシフトさせ,火かき棒事件の再現――イデオロギーの衝突――にこだわるのではなく,2人の対立を鮮烈に印象づける伝説として,この事件を位置づけるのである.互いに相手の学説を軽蔑し合い,不和を恐れなかった哲学者の学問的情熱を礼讃することで,本書は,火かき棒事件の謎を解明する意義を捨て去っている.その意味で,推理劇と論証を期待する読者は裏切られ,肩透かし感も味わうかもしれない.

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Title: WITTGENSTEIN'S POKER

Author: David Edmonds, John Eidinow

ISBN: 4480847154

© 2003 筑摩書房