「考えるのをやめなさい」.日本滞在中に弓道を学んだドイツ人哲学者ヘリゲルは,自我を捨て心を無にして的を射よと説く師の言葉に,あらゆる道に通底する禅の奥義を感得する.精神集中と身体の鍛練によって,いかに「無心」となり得るのか.世界中で愛読され続ける日本論の名著を新たに訳し下ろし,講演録や鈴木大拙の序文とともに収録.最新研究を踏まえた解説により,日本的な武道と芸道,そして禅の真髄を解き明かす決定版――. |
禅と弓道の一致を目指す運動「大射道教」の創始者・阿波研造のもと,弓道を学んだオイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel)は,禅をより深く理解するために弓術を追求した.「思考をやめよ」という師の言葉に触発され,自我を捨て心を無にして的を射る禅の奥義を感得したと自称したヘリゲルは,日本民族の特徴的な傾向を「直観」と認識していた.弓を引き絞り,照準を狙い定める精度を高めて放たれる矢が,目標に達する様子に感銘を受けている.この経験から,ヘリゲルは徹底した合理主義を弓術に適用しようとした.しかし,導く師からの助言により,弦を引く際に力を抜き,矢が自然に離れていく瞬間を待つことが至善であると気づく.
阿波師範の言葉に従い,的に矢を射ることではなく,ただ弓を引き,矢が離れるのを待つことが,真の合理主義の道であると考えたのである.この過程において,西洋の合理的な思考と日本の非合理的な直感的思考が接近し,弓術を会得するに至るプロセスが本書で考察されている.ヘリゲルは5年間の研鑽を積み重ね,その体験をもとに帰国後に講演を行った.彼は「不動の中心」の本質に「神秘的修練」を感じ,鈴木大拙の論に学び,哲学的な考察を試みる.「禅」と弓術の射的の精神を探求と思索をまとめたのが本書であり,日本から帰国後,ヘリゲルはエルランゲン大学で教鞭をとった.しかし,ナチ党への入党やナチス組織「ドイツ文化のための過激派同盟」への加盟など,ナチズムへの関与も明らかにされている.
1941年にはバイエルン科学アカデミー正会員となり,1944年に同大学長に昇任するが,1945年の終戦以降は正教授まで降格させられた.ヘリゲルのナチズムへの支持については,フォルカー・ゾッツ(Volker Zotz)『仏教とドイツ文化』に詳述されており,また1935年「国家社会主義と哲学」において,ヘリゲルは精神生活の前提条件として「血統」と「人種」を強調し,新しい反実証主義の哲学者としてフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)を引用して賛美した.支配と被支配の関係をドイツ人とユダヤ人に置き換え,差別を正当化できると考えたのである.さらに1944年「サムライのエトス」では,同盟国である日本の特攻精神を評価,玉砕の美学を強調する意見は,『弓と禅』で論じた真に無心,無我になれたとき,自ずから「本質」は現れるという禅ー弓道の奥義の学びとは極めて異質な考えであった.
戦後,ヘリゲルは非ナチ化法廷によって罪に問われ,「消極的な同調者」との判決を受け,ナチズムへの関与を理由に,1945年以降3年間,大学で教えることを禁じられた.ヘリゲルの修練は,禅と思考との葛藤や,禅の本質を理解しようとする努力を通じて,真の理解に近づく試みではあったが,不動の中心の本質を学んだ「その後」をみれば,彼が真に「知った」つもりでも「知らず」「学び得なかった」という哀れな残滓しか認められない.彼の禅に対する理解の多くは,西洋の禅宗を一般に広めた鈴木大拙の著作から得たと思われる.鈴木自身も,戦後に出版された『弓道の禅』の序文を書いていることから,当初はヘリゲルの分析に賛同していたようだが,後に「ヘリゲルは禅に到達しようとしているが,禅そのものを掴んでいない」と書いている.
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Title: ZEN IN DER KUNST DES BOGENSCHIESSENS
Author: Eugen Herrigel
ISBN: 978-4-04-400001-1