100万ドルの賞金がかけられた数学の七つの難問のひとつ「ポアンカレ予想」の証明.今世紀中の解決は到底無理と言われたその証明が2002年にインターネット上にアップされる.だが,世紀の難問を解いたその男は,フィールズ賞を拒否し,研究所も辞職,数学界からも世間からもすべての連絡をたって消えた.ペレルマンと同時代に旧ソ連で数学のエリート教育をうけた著者だからこそ書けた傑作評伝ノンフィクション――. |
アメリカのクレイ数学研究所は2000年,数学分野の7つの難問「プレミアム懸賞問題」を公表した.今世紀中に一問足りとも解かれることはないとされていた問題群には,数学者たちがほぼ1世紀にわたって解決できなかった「ポアンカレ予想」が含まれていた.わずか2年後の2002年,コーネル大学ウェブサイト"arXiv.org"に突如として3本のプレプリント――ポアンカレ予想の証明:単連結な3次元コンパクト多様体は3次元球面に同相――が投稿され注目を浴びた.グリゴリー・ペレルマン(Grigori Yakovlevich Perelman)という無名のロシア数学者による証明は,ウェブ公開であったため「公開討議プロセス」を当然に促した.国際的な数学者たちの検証を経て「基本的に正しい」と認められ,2006年8月フィールズ賞が与えられたが,ペレルマンは「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として辞退した.
フィールズ賞を辞退した数学者は前代未聞であった.さらに2010年3月,初めてプレミアム懸賞問題の受賞基準を満たしたと発表されたが,ペレルマンは賞金100万ドルを拒否,サンクトペテルブルクのステクロフ数学研究所を2005年末に退職した.以降,数学研究から完全に身を引いたと考えられている.彼の選択に関する複雑な物語は,数学界のモラルに対するひとつの洞察を提供する.ニューヨーカー誌の2006年の記事では,ペレルマンは数学分野の倫理基準に失望したと語っていると引用されている.ペレルマンがなぜ頑なに栄誉を拒否したかは不明だが,学界の俗悪な政治駆引きに失望したことが本書でも指摘されている.丘成桐(ハーバード大学教授,フィールズ賞受賞者)は,中国数学会学会誌創刊にあたり,弟子の曹懐東と朱熹平を弁護しペレルマンの証明過程を「丸写し」したかのような作為を容認して政治工作を行い,フィールズ賞共同受賞を企図した.
降りかかった醜聞は,「完全証明」以外に何をも求めないペレルマンを人間不信に陥らせ,数々の栄誉を辞退させることにつながったと考えられるだろうか.だが,ペレルマンの知の孤独はそれだけではなかった.旧ソ連時代からロシアでは,伝統的に「力学数学科」で数学を学び,物理学を学ぶ上で不可欠な変位,速度,加速度,エネルギー,遠心力,引力を扱う.ペレルマンは1982年,高校生のための国際大会である国際数学オリンピックにソ連チームの一員として出場し,満点を達成して個人金メダルを獲得している.さらにレニングラード大学の数学・力学学部の学生として入試を免除され入学し,ソ連科学アカデミーのステクロフ数学研究所のレニングラード部門に採用された.
しかし,フィールズ賞受賞理由は「幾何学への貢献とリッチ流の解析的および幾何学的構造への革命的な洞察」であって三次元ポアンカレ予想の功績に対してではない.さらにポアンカレ予想の四次元版を解決したマイケル・フリードマン(Michael Hartley Freedman)は,ペレルマンがその分野で最大の難問を解いてしまったせいで「いまやトポロジー(位相幾何学)は魅力を失い,結果として,今いるような才能あふれる若者たちは,もうこの分野からいなくなってしまうだろう」とコメントした.こうした事態と推移は,ペレルマンが数学界を軽蔑し離脱する決断を下すのに十分すぎるほど醜悪だった.ペレルマンの半生は,数学界における倫理と道徳の問題に対する重要な警鐘を鳴らしている.数学界はペレルマンによってトポロジーの魅力を失ったのではない.腐敗構造によって不世出の才器を失ったのである.
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Title: PERFECT RIGOR - A GENIUS AND THE MATHEMATICAL BREAKTHROUGH OF THE CENTURY
Author: Masha Gessen
ISBN: 4163719504
© 2009 文藝春秋