▼『朽ちていった命』NHK「東海村臨界事故」取材班

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

 1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故.核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく,83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった.「生命の設計図」である染色体が砕け散り,再生をやめ次第に朽ちていく体.前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩.人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント――.

 分裂反応による高エネルギーのβ線や熱中性子線を示す「チェレンコフ光」は,荷電粒子が物質中を運動する際,荷電粒子の速度がその物質中の光速度よりも速い場合(真空状態)に認められるという.電磁場の作用で物質から青い電磁波が放たれるため,チェレンコフ光が視認できる場合は青白く視える.この光に貫かれた1人の核燃料加工施設作業員大内久の83日間の記録が,時系列に即して淡々と述べられている.致死量をはるかに越える放射線被爆した大内は,千葉市放射線医学総合研究所を経て東大病院に搬送された.

濾過の作業を終えた大内は上司と交代し,ロートを支える作業を受け持った.バケツで7杯目,最後のウラン溶液を同僚が流し始めたとき,大内はパシッという音とともに青い光を見た.臨界に達した時に放たれる「チェレンコフの光」だった.その瞬間,放射線の中でももっともエネルギーが大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた.被爆したのだった

 茨城県東海村の核燃料加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所」.1999年9月30日の事故発生時,大内と上司はステンレス製のバケツや漏斗でウラン溶液を濾過する作業に従事していた.原子炉に密接した作業工程としては,唖然とするほど杜撰な実態だった.医療チーム救急部のリーダーを務めた前川和彦(東大医学部教授)は,大内への処置を「海図のない航海」と感じ,「根拠のない希望」に一縷の望みをかける医学の限界を知ることになる.被爆から6日目,無菌治療部の医師に届けられた大内の骨髄細胞の顕微鏡写真に,医療チームは驚愕した.通常みられる人間の染色体がばらばらに破壊され,黒い物質しか写し出されていない.瞬時のチェレンコフ光――放射線被爆――は,大内の体の「設計図」を破壊し尽していた.

染色体はすべての遺伝情報が集められた,いわば生命の設計図である.通常は23組の染色体がある.1番から22番と女性のX,男性のYとそれぞれ番号が決まっており,順番に並べることができる.しかし,大内の染色体は,どれが何番の染色体なのか,まったくわからず,並べることもできなかった.断ち切られ,別の染色体とくっついているものもあった

 核分裂反応を起こしたウランは,この事故では1/1,000グラムという微量であったが,大内の体内では原形質レベルで瓦解と崩壊が急速に始まる.造血管細胞移植,新薬の投与,5つの大学からの培養皮膚,実妹の皮膚移植――当時の最先端技術が「初の放射線被爆患者」には実施されたが,すべて非定着に終わった.崩れた皮膚組織や粘膜から浸潤する体液は10リットルに及び,心停止時に投与されるノルエピネフリンは20倍以上の量が投じられ,強心剤ボスミンのアンプルを3本使っても効き目がない中で,大内は事故から83日後,息を引き取った.医療関係者の誰もが予測しながら,誰しも口にすることを憚った事態は,悲痛な事実として受け止められるべきだろう.

客観的に見ると生きながらえる見込みが非常に低い患者であることは,だれの目にも明らかだった.助かる見込みが非常に低いという状況のなかで,日に日に患者の姿が見るも無惨な姿になっていく.その患者の治療に膨大な医薬品や血液などの医療資源が使われていく.しかし,そうしておこなった処置は患者に苦痛を与えているのだ

 主治医の前川教授が記者会見で述べた言葉「原子力防災の施策のなかで,人命軽視がはなはだしい.現場の人間として,いらだちを感じている. 責任ある立場の方々の猛省を促したい」.核燃料加工施設に留まらない構造的な腐敗体質が,放射能を浴びながらテイケン(定期点検)に従事する下請け労働者の問題となり,被爆を不可避とする労働の従事者は,まさに益獣かそれ以下の実状で凍結状態にあるシステムを温存する"不都合な真実"が維持された.原発産業の労災隠しや杜撰な放射線管理に対する改革要望は,この優れたドキュメントを生んだNHK取材班の成果と再検討からなされるべき事柄であった.しかし,東海村臨界事故から約11年後,2011年3月11日に国の原子力政策の隠蔽体質と産業の複合体がさらなる形で露呈した.

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原題: 朽ちていった命―被曝治療83日間の記録

著者: NHK東海村臨界事故」取材班

ISBN: 9784101295510

© 2006 新潮社