オーストラリアへの移住を希望する一家の3年間を三部構成にわけて描く絶望のドラマ.史上空前のラストが観客を待ち受ける.タイトルを直訳すると“第七の大陸”.地球上には第六の大陸までしか存在しない…. |
人体は自ら発条を巻く機械であり,永久運動の生きた見本である.人体は時計,しかも巨大な時計であり,非常な技巧と数奇を凝らして作られている――ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー(Julien Offray de La Mettrie)『人間機械論』の有名な一節が,本作の“第七の大陸”という虚無的イメージに被さってくる.過度な説明要素は,しばしば煩雑の謗りを免れない.人間機械論は,発条を積んだ機械である人間に,霊魂と神など不要と説いた.
ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)の手法は,リアリズムとは距離を置いて,絶望につながる解釈を提示して鑑賞者の「経験」「感覚」を強烈に刺激する.世界から孤立した一家の佇まいを捉えるFIXショットから,日々の平凡な製品――ドアノブ,食器,コーヒーメーカー,洗面台,歯磨き粉――が大写しになる.これらの物質は,人間の感情を代替するものではなく,さらに物質と同様にクローズアップされる貨幣やレジスター,時計などにおける「数字」の存在が,彼らを取り巻く外的秩序を暗示している.
オーストリアからオーストラリアに移住するという公言の意味,オーストラリア観光を促す広告,盲目を騙る娘の虚言の背景,母の号泣の理由,場面間をつなぐ不自然な長さのブラックアウト,“系統立てて順序よく”日用品を徹底的に破壊しつくし,あらゆる描写に説明を与えぬ終着としての一家心中――帰結の必然性が隠蔽され,不可解な事象の接合にはすべて「解釈」への問いかけが内在している.
本作のいいしれぬ不快感は,論理や類推の蓋然性を嘲笑うような滅裂さを内容としながらも,自分が社会から消滅するプロセスを想像した場合,断片的には理解できてしまうためであろう.日常の静観と破壊によって,緊密で先鋭化されたイメージを可能にした斬新さである.救済や恩寵の必要を予見させる情緒,観念といったものがこの一家には決定的に欠落している.“第七の大陸”はユートピアの象徴というより,不可解な末路としての破滅をもたらし,人を不安に陥れる暗黒大陸のビジョンである.
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原題: DER SIEBENTE KONTINENT
監督: ミヒャエル・ハネケ
104分/オーストリア/1989年
© 1989 Wega Film