東京郊外に住むしあわせな三人家族.ひとり娘の昌子はある日,泥の中で蝶を追っていた.珍しい蝶を取り逃がしてしまった昌子は不思議な夢を見る.その話を聞いて嫌な予感がする父の昭.数日後,妻の邦江は娘の異常に気づく.昌子が食事中に食べ物をこぼし,後ろ姿も妙な歩き方になっているのだ…. |
日常に潜む恐怖を,息詰まる閉塞に封じた世界.閉された空間に鑑賞者を引き摺り込む吸引力が圧巻.いたいけな少女に憑依する“魔”を,「エクソシスト」(1973)のようなオカルティズムではなく,破傷風菌という人獣共通感染症に担わせた.土壌に潜む菌が傷口から侵入すると,末梢神経および脊髄前角細胞が侵され,全身の筋肉が強直性痙攣をおこす.
ワクチン接種により,現在では死亡例は激減しているが,かつては感染後5日以内に発症すれば致死率100%,7日から10日以内に発症すれば致死率70~80%,10日以上では38%という恐るべき病だった.患者は光や音に過敏反応を示し,背骨を折れるほど弓なりに反らせ,手足を硬直させる発作を起す.奇声を発してそのような発作を繰り返し,徐々に衰弱していく女児を目の当たりにする両親,医学の知識と経験を結集して破傷風菌に抗する医師.
施術という名の「悪魔祓い」を仰々しく描くとともに,死線を彷徨う愛児と病魔との死闘を傍観しなければならない両親の精神的荒廃というもう一つの恐怖が肥大する.黄泉への階段を一段ずつ降りていくような発作の凄まじさ,その阿鼻叫喚が狂気の渦となって周囲を巻き込んでいく.恐怖の対象は,病が呈する症状であり,それを体現する少女の狂態である.
導入の《無伴奏チェロ組曲》は,不穏の幕開けを思わせ,妖しげな蝶を追って母の見守る団地から離れていく少女が,死の陰の谷を歩ませられることになる.狂気へ通じる扉は,平凡な日常の一齣に隠されている.子どもらしさの描写を手控え,直ちに闘病場面へとシフトしていく流れは鮮やか.グロテスクなメルヘンでありながら,映画として娯楽要素を損ねていない.三木卓の原作を見事に映像化したカルト的傑作である.
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原題: 震える舌
監督: 野村芳太郎
114分/日本/1980年
© 1980 松竹