| 国際化の進展の時代にあって,緊急な課題は共通言語手段である.エスペラントは,この目的のために創造された.国際共通語による対等の交流を通じて「諸民族の友好と調和」を達成しようとする創始者ザメンホフの理想と情熱は,人類の言語問題解決への鍵を示唆している――. |
人類が単一の言語で結ばれることは,永久機関の発明と並ぶ人類の夢,悲願である.公用語という意味では,ヘレニズム時代の西アジアからエジプトにかけて用いられたコイネー(ギリシア語),ヨーロッパでは18世紀から20世紀にかけてラテン語―フランス語―英語と変遷がみられる.「国際語」の権勢を誇るのは,ほとんど例外なく秩序と和平を強調し,弱小国に強制するパックス(pax)概念による.ルドヴィコ・ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof)は,帝政ロシア領ポーランド北東部の都市ビャウィストクに生まれた.その町では,ポーランド人のほかロシア人,ドイツ人,ユダヤ人と4つの民族がいがみ合って生活しており,ロシア語,ポーランド語,フランス語,ヘブライ語,トルコ語,イディッシュ語,リトアニア語など13種もの言語が飛び交っていた.
人々はカトリック,プロテスタント,ユダヤ教,ロシア正教で常に対立していた.人間の分裂は言語的分断にある,と痛感したザメンホフは,あらゆる民族の解放のためには,自然言語の欠点を克服した人工言語の開発と普及が不可欠と志を立てたのである.厳密に定義された論理的法則による音声体系をもつ人工言語は,学習者の予備知識も教育水準も問わない.数週間学んだだけで不都合なく実用的に話法を操ることができる.信じがたい報告ではあるが,ザメンホフが本書で紹介した1895年の実例がある.それによると,エスペランティストにインタビューを敢行したいと考えたあるジャーナリストが,エスペラント辞書を手に入れ,はじめて学んだ.わずか12時間後,エスペラント語でかなり自由にインタビューが可能になったという.
17世紀には,記号・音韻・意味の結び付きがきわめて恣意的である既成言語をマラン・メルセンヌ(Marin Mersenne)やフランシス・ベーコン(Francis Bacon)が批判,メカニカルな哲学言語の形成に取り組んだことがある.しかし,試験的な計画語「ボラピュク」も,エスペラント語ほどの成功をおさめることはなかった.ザメンホフ以前・以後にも人工言語の試みは数百以上も確認されているが,提唱者ザメンホフの死後100年以上にわたり,エスペラントに共感する人々が絶えないことは驚異的なア・ポステリオリ(実在の経験に基づく構想).普及したエスペラントだけがそれを保持していることになる.ザメンホフ自身は,異なる民族に属する人々の相互理解を可能にする,中立的な言語の使用を認める努力,これをエスペラント主義として第一回世界エスペラント大会で「エスペラント運動の指導者としての地位」を正式に"放棄",1906年に「ホマラニスモ」(人類人主義)を宣言した.
国際平和思想の信念と,論理的で精確な文法や語法が整理された体系の完成度があって,ひろく受容された現在のエスペラントの地位があるとみるべきであろうか.一方で,スペインのカタルーニャ語やフィリピンのダガログ語など,あまり顧みられることのなかった自然言語の復権がすすんでいる.学習の容易さはエスペラントに及ばないが,逆にエスペラントは人造語であるゆえに表現力の鮮やかさでは,自然言語に劣る.ザメンホフの構想した時代とは程遠いようだが,国際共通言語が単一言語とされるべき,とはザメンホフも考えていなかった.かつてより,母語と地域共通言語との使い分けが求められる時代が到来しつつある.
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Title: LA IDEO DE LINGVO INTERNACIA
Author: Ludviko Lazaro Zamenhof
ISBN: 4787797115
© 1997 新泉社
