ゴッサム・シティーに,究極の悪が舞い降りた.ジョーカーと名乗り,犯罪こそが最高のジョークだと不敵に笑うその男は,今日も銀行強盗の一味に紛れ込み,彼らを皆殺しにして,大金を奪った.この街を守るのは,バットマン.彼はジム・ゴードン警部補と協力して,マフィアのマネー・ロンダリング銀行の摘発に成功する.それでも,日に日に悪にまみれていく街に,一人の救世主が現れる…. |
映画の完成度を測定する指標は様々にある.興行成績や映画評論家による映画史上の位置づけ,俳優・監督・製作指揮者等のキャリアアップや集大成,あるいは方向路線の転換といわれるだけの風格の有無,そして何より,その映画を目の当たりにした観客の支持の強さである.オーディエンスの脳裏へ強烈に刻印された印象は,記憶さえ凌ぐことがある.大富豪ブルースの夜の顔は犯罪撲滅に奔走するバットマン.しかし,法的にはバットマンの行為は私的制裁の域を出ず,その存在を称揚する市民が増える一方,戸惑いと疑問視する声も高まっていった.組織犯罪はバットマンが司法の有力な担い手と組むことで激減したが,それがバットマンを「好敵手」とみなす凶悪犯を呼び寄せることになる.
強大な正義がより強力な悪を誘発する原理――そのジレンマに人知れず苦しむヒーローを演じたクリスチャン・ベール(Christian Bale)の安定感は素晴らしい.しかし,最凶最悪のジョーカーを演じたヒース・レジャー(Heath Ledger)の計算され尽した狂態,悪に唆されて転落する正義の人物・デント/トゥー・フェイスを演じたアーロン・エッカート(Aaron Eckhart)の前には存在感が薄い.とりわけ,レジャーの演技は刮眼に値する.極端なアナキストは,傍目には無目的に凶悪犯罪を次々に実行してみせる.かつてジョーカー役をジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)が演じた際,正体不明でコミカルな道化を凶悪犯像にたくみにブレンドして絶賛されたが,その路線とも違う.同じ路線で怪優ニコルソンを越えることなどできはしないし,新生ゴッサムシティにはそぐわない.そこに見事にマッチしたダークな愉快犯ジョーカーをレジャーは体現している.
衣装はセックス・ピストルズのジョニー・ロットン(Johnny Rotten)を意識しており,古着にピエロをイメージさせるつま先の尖った靴,完全な白塗りの顔面というよりは不完全な白さで病的な性格を映し出し,眼は過剰な隈取りに覆われている.髪はグリーンがかったブロンドで,これらのメイクは無造作に見えるが特殊メイクのプロテーゼ法(補綴術)の進歩が大きく貢献している.このような盛り付けで準備されたジョーカー像は,完全にブッ飛んだレジャーの演技で誕生した.明らかに常軌を逸した視線,エキセントリックな声,妄想と現実が混在した動機と話法の異様さ‥‥まさに忘我と狂気の極みである.ここにはニコルソンが演じた陽気なサイコパスとは別物のジョーカーが存在している.
レジャー自身は「時計じかけのオレンジ」(1972)の主人公アレックスをイメージしていると語ったが,陰気な猫背で人間の善意を破壊し,人間の偽善を暴いて価値観を動揺させる狂人格をものにするため,1ヶ月間ロンドンのホテルに篭もり,さまざまな喋り方を訓練し,ジョーカーの視点から日記もつけていた.病院の撮影現場では,レジャーは衣装に「私はハービー・デントを信じる」というロゴの入ったバッジを付けてきた.これはデント検事の選挙スローガンである.病院のベッドでデントを悪の道に覚醒させるジョーカーであれば,「きっとそうするだろう」というレジャーの発案である.アナーキーでパンキッシュ.彼はジョーカー役の重圧に負けぬほど,心からこの役柄を楽しんでいた.
2008年1月22日,本編の製作がすでに編集段階に入り,ワーナーが予告編で新たなジョーカーを披露した直後にレジャーは急性薬物中毒で死亡した.不眠症,神経不安などを解消するために6種類の薬剤を服用し,インフルエンザの薬も併用していたという.けたたましい叫び声と狂態で映画史に残るヒールの1人に昇りつめたジョーカーが象徴したのは,モラルの欠如した存在に箍(たが)などないということだ.正義の象徴となったバットマンやデント検事には,行動を抑制しなければならない規律がいくつも存在している.だが,ジョーカーにはそれがない.ルールを破らずに曲げることが求められる立場と,説得も脅迫も懐柔もあらゆる交渉が通用せず,自由自在にルールを蹂躙できる破壊者の違い.そのアドバンテージを利用してゴッサムシティを跳梁するジョーカーは,正義を語る人間を悪の道に転落させることでその正義が"騙り"であることを証明する.
『マクベス』の魔女のように讒言により悪をそそのかすジョーカーは,ヤハウェに反逆し天界を追放された堕天使の役割をデント検事に担わせ,毛嫌いする正義の内部崩壊を現実に引き起こすことに成功するのである.暴走を始めるデント検事は「トゥー・フェイス」となり果てて私怨を晴らすため,法の執行者に見切りをつけ,法の圏外で「悪」に裁きを下す存在に転落してしまう.顔も心も歪んだトゥー・フェイスにとっての悪とは客観的には何か.アンチテーゼは緻密な描写ではないが,無軌道さと無計画を装った狂乱に本当の意図を隠すプロットは見ていて小気味がよいのと同時に,大胆な脚本の書き起こしに感心させられる.
本作は冒頭の6分間を含め,6つのシーンが長編映画として初めてIMAXカメラで撮影された.魅せる映像を撮るためには何でもやる,というスタッフの気概が詰まったこの手法により,IMAXカメラの重量に息を上げながらも被写界深度の狭さを生かし,高い解像度,コントラスト,彩度の明暗をくっきりさせたシーンを撮影している.印象深いのは,これまでのバットマンシリーズでゴッサムシティがNYをモデルとして造型されてきたのに反して,本作では堂々とランドスケープを登場させ,またラサール・ストリートで大型18輪トレーラーをひっくり返して見せた.明らかに舞台はシカゴであることを観客に伝えて恐れていないのだ.ビルの爆破にせよ,トレーラーの転倒にせよ,極力CG処理ではなく現物を用いた撮影にこだわったクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)は,スタジオでは決して実現できない「体感スケール」を大きく,さらに高めるためロケ地での撮影を敢行した.前作「バットマン ビギンズ」製作前に,その構想を45分間にわたってワーナー・ブラザーズ社長にプレゼンしたノーランは,本作で興行的に有無をいわさぬ数字を叩き出した.
夜明け前が最も暗い.主要な人物がすべて「二面性」を抱えているのが本作の特徴であり,その境界もまた曖昧である.「お前は俺だ」というジョーカーの言葉に葛藤を呼び覚まされるバットマンは,善のために個を捨てた暗黒の騎士として,光の騎士の栄光を死守することを選ぶ.法の外で悪を裁く者は,無頼漢でしかない.法治国家では認められない正義の追求は,市民の盗聴(エシュロン)にまで手を伸ばす倫理観の麻痺と背中合わせのコインとなっている.悪を蹴散らすカタルシスなどここにはない.最も暗い道を疾駆するダークヒーローは,混沌としたゴッサムシティの漆黒の闇に消える.
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原題: THE DARK KNIGHT
監督: クリストファー・ノーラン
152分/アメリカ/2008年
© 2008 TM & DC Comics Warner Bros. Ent.